山羊に憧れたヒツジ

なんかもっと、日常を楽しんだらいいじゃん。

LGBT

1週間ほど前の話ですが、

私の所属している団体で行っている、

LGBT勉強会に参加してきました。

 

みなさんは、LGBTに対して

どんなイメージを持っていますか?

 

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ちなみにLGBTとは

――――――――――――――――――――

L lesbian(女性同性愛者)

G gay(男性同性愛者)

B bisexual(両性愛者)

T transgender(トランスジェンダー)

――――――――――――――――――――

の頭文字をとったもので、

最近では性的マイノリティー全体を

指したりするそうです。

 

勉強会では、 

用語説明から始まり、

当事者がこれまでの人生について話したり、

当事者たちによるパネルディスカッション、 

LGBTに対する社会の動きや、

それらに対する反対意見の紹介、

意見交換のワークショップなどがありました。

 

ただLGBTを擁護するのではなく、

参加者がきちんと向かい合えるように、

反対意見もきちんと紹介するスタンスは

良いなあ、と。

 

また、自分たちがどういう経緯で

「自分はLGBTなのだ」と自認したのか、

自分の中の違和感との葛藤など

生の声を聞くことが出来ました。

 

 

私は元々、

LGBTに偏見を持ったことがなくて、

むしろ偏見を持ち、

 

「自分は絶対LGBTじゃない!」

 

と言い切れる人に対して

疑問を抱いていました。

 

 

だってどうして、

今まで同性を好きになったことがないだけで、

自分のこれからの長い人生でも

絶対同性を好きにならない、

と言い切れるのでしょうか?

 

今までがそうじゃなかっただけ。

これから、好きになるかも。

 

と、私は思います。

 

自分がバイセクシャルの可能性なんて

死ぬまで無いとは言いきれないと思う。

 

また、今までの恋が

ほんとにちゃんと好きだったのか

一時の気の迷いなのかというのも自信はなく

別に異性の身体に欲情したこともないので

アセクシャル(無性愛者)じゃないと

言い切る自信もありません。

 

だから別に、LGBTというのは

特別なことではないよなあと思います。

 

ただ、社会的には

マイノリティーだというだけで

彼らは肩身の狭い思いをし、

異物として見られるのが怖くて言い出せず、

辛い思いをたくさんしてきています。

 

本当の自分を偽って生きるのは

本当に辛いと思います。

 

だから、多くの人が

彼らの存在をもっと認知し、

当たり前の存在として

受け入れていく必要があるのだなあ、と。

 

そして、ゆくゆくは、

パートナーシップ制度など

同性の恋愛が社会的に認められ、

さらには性別を変換することも

もっと容易い条件で可能になってほしい

と感じています。


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とはいえ、冷たいようですが、

私は彼らに同情する気もそこまでありません。

全くないわけでもないですが…。

 

なぜなら、彼らの悩みや辛さは

特別なことではないと思うからです。

 

トランスジェンダーFtMの方が、

鏡を見る度に、

「今日も私は女なんだ」

ととても辛くなると言っていました。

 

私の友達は鏡を見る度に、

「どうして自分はこの顔なんだろう」

と毎日とても辛くなると言っていました。

ブスだと言われて育ったという

外的要因があるにせよ、

鏡を見て辛くなる人はいるでしょう。

(その子は、もっと可愛ければなあではなく、

 本気で自分の顔を嫌ってしまっています)

 

「いやいや、度合いが違うでしょ」

 

と言われてしまうかもしれません。

けれど、辛さの度合いなど

本人以外わかりませんし、

どうして比べることが出来ましょうか。

 

性別と同じく、

容姿もそんなに簡単に変えられるものではなく、

また変えることは

親に申し訳ないといった理由などで

言い出せない人も多くいます。

 

 

また、私はよく人から「変わってるね」

と言われます。

正直、とても辛いです。

 

LGBTの人の中にも、

「周りと違うことが怖い」

と言っている人がいました。

 

私も怖いです。

周りと違うことが怖いし、

浮きたくないです。

 

ですが、周りから浮かないように

努力した時でさえ、

「変わってるね」と言われてしまいます。

けれど、原因がわからないので、

どこが人と違うのかわからないので、

変えることができません。

 

だから、何が人と違うのか、

というのをきちんと理解出来ている彼らが

少し羨ましくもあります。

それ以上に辛いところが多いとは思いますが。

 

また、私は睡眠障害をもっていますが、

睡眠障害に関しての社会理解度は低く

きちんと原因を証明すると

仕事につけないばかりか、

車の免許すら取れない可能性があります。

なので、原因を証明するのは怖いですが、

日常で症状がでたときに

 

「みんな眠いんだから、

   睡眠障害を言い訳にするのは甘え」

「頑張ればどうにかなるでしょ」

 

と冷たく突き放されるのが現実です。

 

結局みんな、

なにかしらにおいてはマイノリティーで

一方でなにかしらにおいては

マジョリティーに所属してて

マイノリティーは辛い思いをしているのだなあ

とあらためて感じています。

 

だからこそ、LGBTだけでなく、

さまざまなマイノリティーに対して

理解し、受け入れることの出来る社会に

なって欲しいなあと心から思います。

 

ちなみに、勉強会の最後に、

「今の自分に出来ること」 

を考える時間がありました。

 

私はまず、

LGBTが「特別」でなくなるために、

認知度をあげることが、

そのために発信していくことが

必要なのかなって思いました。

 

そして、

それと同時に私が出きることって、

「何もしないこと」なのかなって思います。

 

「何もしないの???」 

 

と言われてしまうかも知れません。

けれど、

何もしない、というのは、

差別も特別視も問題視も同情もしないで、

彼らに接し、関わっていくという意味です。

 

私がマイノリティーの立場に

置かれた時に感じるのは、

問題視されたいわけでも

同情されたいわけでもなく、

「自分はこういうものだ」と

受け止めてもらうことだなあ、とかんじます。

 

だから、当たり前の存在として接するのが、

理想なんじゃないかなーーーーー?

って勝手におもっています。

 

この記事を読んでくださった皆さんにも

ぜひこれから関心を持っていってほしいです。

 

そして、

一緒により良い社会にしていきましょう。

 

それでは。

今日のさんぽ

お久しぶりです。

 

いつの間にか、

前の更新から1ヶ月も空いてしまいました。

  

春の足音も聞こえてきて、

お日様の下を歩くにはアウターもいらないくらい

ぽかぽかになってきましたね。

 

さて、今日は午前中に人と会った後、

交通費を浮かせるために

市ヶ谷から新宿まで歩いてみよう、

 

ということでお散歩をしています。

 

 

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 さっそく八幡宮に寄り道。

咲き初めの桜って好きです。

 

狛犬の顔が、どことなく間抜け。

 

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お花も咲いてました。

 


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かわいい。

 

そして通りかかった商店。


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 何に使うかわからない道具ばかりで、

気づかないところできっと

たくさん支えられているんだろうなあ 。

 

そんなこと思いながらふと見上げると、


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あんなところ、

どうやって落書きしたんでしょうか…

 

すごいなあ…


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あんな感じの屋根ところに住みたい…

こんな感じのベランダ好きです(笑)


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そして歩いていると、

この先に、何があるのかなって、

ワクワクさせてくれる階段。

 

つい登りたくなります。

 

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この渡し廊下?も歩いてみたくなる。

 

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可愛い窓。

家にこんな窓欲しいな。

反対側の窓を見上げると、、、


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動かない、猫。

…置物?

ちょっと私が移動しても


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ガン見。

ちゃんと生きてました。

 

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見渡しのいいところに出ました。

 

お墓の近くは、

見渡しの良いところが多いので

私もお墓の近く住もうかなって思ったり。

 

お墓を撮るのはちょっと良くないけれど


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面白い形の機械!

なにこれ!虫みたい!

 

あ、馬もいました


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こういうのに目を通すと、

少し賢くなったような…?


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こう見ると、どの建物も

窓やベランダの形が違っておもしろい。


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美味しそうな看板につられて


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キノコののったパンを購入。

今日のお昼ごはんです。

 

たまに街中を歩くのは、ほんとにすき。

お日様の下ぽかぽか歩くのは、

ほんとに幸せです。

 

風は気持ちよくて、好きな音楽聴いて、

 足元では小さい花が凛と咲いている。

 

みなさんも、ぜひ歩いてみてください。

 きっといろんな出会いが、発見があります。

 

そんな春の1日でした。

(駅に着いていないので、これからまだ歩きます)

 

では。

寄り添う。

こないだ、たまたま


新宿にいた友達と会っておはなししました。

 

 

久しぶりに。

 

 

なんか最近
前回の記事でも言ったように


自分の悪いところや


できていないところがたくさん見えていて


嫌気がさしていたりしました、

 

 

が、

 

 

その友達と話していて


その子が私の話で


「直近の目標が見えた」


って言ってくれたり

 

 

少しでも私の話に価値を感じてくれていて

 

「話せてよかった」


「まみっこのこういうところすごく良いと思う」


「もっと長所生かせばよいのに」


といった感じでべた褒めしてくれて
少し勇気がでました。

 

 

たまに


人を見る力があるよね


と言われるのですが

 

私は最近まで

共感力がないから

人に寄り添ってあげられないと思ってました。

 

でも、寄り添うことって

共感することだけじゃないなあって。

 

たとえば

「あなたの行動ってこういう特徴があるから、

 こういうところを意識して行動したほうがいいよね」

というように、

その人がよりビジョンに近づけるように

 

一緒に考えて、提言してあげる

 

というのも

寄り添う形のひとつなのかなって。

 

共感するのが苦手で

 

協調性もない私だけれど、

 

誰かと寄り添って

一緒に生きていくことができるんだろうなあと。

 

なんかほんとうに勇気ももらえたし、

自分と向き合える時間でした。

 

自己分析って

 

自己分析してる時より

人と話してる時の方ができるんですね。

白紙の日々

最近、あえて

予定を入れないようにしていました。

 

本当に必要だと思ったことに対して、


いままで予定が入っていて
動けないということが多かったから。
思考もできていなかったから。

 

その結果、


必要なことに対して動けたか。


考えることが出来たのか。

 

 

ふたを開けてみると、


不必要なことばかりしていました。


寝坊もたくさんしました。
浅はかな欲望にも負けました。
いつのまにかバイトの時間になってました。

 

本当に自分が嫌になりました。

 

ひとりだとこんなにも何も出来ないのか。
後ろめたくなりました。

 

けれど、

これはつまり、
今までいかに思考や主体的な行動が
出来ていなかったこという事実が、
夢に関係の無い予定(関係あるものもありましたが)に
かき消されていたかということです。

 

多忙、時間に追われる、
というのは恐ろしいなあと。

 

たしかにこのまま時間に追われていた方が
余計な事考えずに人生終われるなあと。

 

今回自分のだらしなさが


という程見ることが出来たので

 

これからひとつひとつ向かい合って
納得のできる自分に
理想の自分に近づけるように
努力していきたいとおもいます。まる。

逆境

逆境、

っていうと大それた感じしますよね。

 

逆境に向かっていく人は

Mだ、なんて言われたりする。

 

 

昨日駅から出たとき、

めちゃくちゃ寒くて、走って、

 

「逆境に向かっていくってこういう感じなのかな」

 

って思った。

 

寒い風に向かっていく。

 

寒いからって

外に出なくては目的地や目標にもたどり着けないし

 

首をすくめて体縮こませても

現状は何も変わらない。

寒いことにはかわらない。

 

なら、

 

走っていけばいいじゃんって。

 

自分から思い切って向かっていけば

最初はつらいかもしれないけど

 

目標にも早く到達できる可能性はあがるし

その分転ぶとか事故とか

リスクもあがるかもしれないけれど

 

いつの間にか体があたたまって

その環境を苦だと思わなくなっていく。

 

むしろ、爽快感すら感じる。

 

さらに目標にたどり着いたときに

達成感も大きなる。

 

 

って考えたら

 

むしろ逆境に向かっていかないほうが

長い目でみたときにMなかんじもするし

もったいないし

 

ローリスクだけどローリターン。

 

 

寒い風の中、そんなことを思ってた昨日の帰り道でした。

では、今日も一日Happyちゃんでいきましょう!

 

 

 

 

きいろ。

 

きいろい、気持ち。

 

といえば、

みなさんはどのような気持ちを

思い浮かべるでしょうか。

 

わたしはお日様みたいに

たんぽぽみたいに

 

ぽかぽかした気持ちです。

 

 

昨日用事があって

3か月ぶり京都でした。

 

あいかわらず観光する時間はとれなかったけれど

 

朝ごはんと、夜ごはんを

友達につきあってもらいました。

 

朝ごはんは野菜バイキング。

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「好きな食べ物はキャベツです」

 

っていうくらいには

野菜が大好きなわたしとしては幸せでした

 

朝なら先着100名で、ワンコインだし

朝早くからやってるから

ちょっと朝ごはんたべにいこーってなったら

おすすめかもしれない。

 

 

で、夜。

 

夜は四条から少し歩いた居酒屋へ。

 

そしたらそこがすごくお洒落で

店員さんもとっても話し上手な素敵な方だらけで

ノリがよくて

無茶ぶりにもこたえてくれて

料理まで美味しいからほんとうにあたりで。

 

それで

 

「これ、うまない?」

「うまいなー」

って。

 

友達2人がほんとうに幸せそうに食べてて

私まですごく幸せで

ずっと「うまい」って言ってるか

笑ってるかのどっちかで。

 

ほんとうに、会話の中身はなさすぎて

でもずーーっと笑ってられる

ほんとうに幸せな時間で

その人たちのことすごく大好きだなーって思ったし

きいろい、ぽかぽかした気持ちでした。

 

ほんとうに笑ってた。

 

はっぴーだと笑っちゃうし

笑っちゃうとはっぴーだし

 

悪循環ならぬ良循環(なんてよめばいいんだろ)

 

ほんとうに平和で幸せな時間ってこれなんだなあ

って心の底から思った。

 

きいろい。

 

京都、少しだけ遠いけれど

そのメンバーでまたそのお店にいきたいし

店員さんい覚えられちゃうくらいいきたいし

インドに行きたい店員さんと

インドトークするお約束したから。

 

行かなきゃ。

 

なんていうか、

 

とにかくとにかく幸せはっぴーでした

っていう記事でした。

 

それでは。

 

wanna be Japanese

「私が断じて滅びないことを願ふ、一つの国民がある。
         それは、日本人だ───ポール・クローデル

 

この言葉は、日仏間が戦争状態であった昭和18年に、
元駐日フランス大使であったポール・クローデルが語った言葉です。

 

この後に彼は

「あれほど興味ある太古からの文明は消滅させてはならない。
日本は驚くべき発展をしたが、それは当然で、他のいかなる国民にもこれほどの資格はない。

彼らは貧乏だ。然し、高貴だ。」

と続けたそうです。

 

ポール・クローデルはフランスの作家であり、詩人であり、外交官で
6年間駐日フランス大使として在日。
彫刻家である姉のカミーユジャポニズムに感化されたこともあり、
日本を広く見聞、関東大震災にも遭遇し、

その際に被災者が配給の列に整然と並ぶ姿を驚きを持って手記に記したといいます。

 

私は最近、「日本人でありたい」と強く感じます。

 

海外にずっと関心があり、

「難民支援がしたい。恵まれない人たちに何かしたい。」と、

国際系の道に進んで今日に至りますが、
その中で

「海外にばかり目を向け日本を見ない」人、
「日本語に乏しい」人、

「海外に住みたい」人、
「アメリカ的なオープンな思考に憧れる」人、
そんな様々な人たちに会ってきました。

とてももどかしかったし、もったいのないことだとおもった。

 

全然悪いことではないし、

むしろ良い意味で海外から影響をうけている人や

海外に目を向けてる人もたくさんいます。
それに、海外にも素晴らしい国が、素敵な人たちがたくさんいる。
グローバル化が進む今、民族主義に囚われていてはいけないのかもしれない。

 

けれど、「日本人」って本来、本当に素晴らしい民族で。
所作が繊細で、奥ゆかしくて、日本語は美しくて、日本文化は趣があって、
思いやりとおもてなしの精神に溢れていて。


けど、それらが「おざなりになっている」ように感じます。

「日本人」であるということに価値を感じない人が多くいて、

「日本人」であるということがおざなりになっている。


もしかしたら私の「日本人像」は理想でしかないのかもしれない。
けど、そう感じる。

 

私は「日本に生まれてよかった」と強く思う。

 

けれど先述の言葉を受けて
「そうだ、日本人すごいだろう」と胸を張って言えない自分がいる。
今の日本人と、当時の日本人が、同じだとは言いきれないから。

 

私も含め、今日「日本人」として生きている人はどのくらいいるだろう。
「日本人」と胸を張れる人はどれくらいいるだろう。

日本のことを知らない、日本が好きですらない、
日本語を正しく使えない、年賀状も書かないし、日本文化を知らない、
箸を正しく持てないし、着物を着れない。
年越しを静粛にではなくクラッカーや花火で盛大に祝って、
雨の日には傘をかしげなくて、御先祖様や家族を無下にする。

 

別に現代の日本人批判するつもりも、

私の周りにいる人たちを非難するつもりも、まったくもってありません。

ほんとに素晴らしい人たちに囲まれてるし、

文化や国が変わることを恐れたら、そこから衰退がはじまるとおもいます。
無常のものはありません。

 

「変わらないもの」をつくるためには、維持するためには、
そこに努力が必要になってきます。

変わらないために変わる必要もあります。

だからこそ、私を含めた多くの日本人に

「滅びないことを願われる」文化を、思想を、「日本人であること」を、
継承していってほしいなあと思います。

 

「日本人でありたい」と思います。

 

家には何故か南米の猿がいて、髪色はコロコロ変わって、金髪が好きで、
海外が好きで、床に座るのが苦手で、洋服で着飾るのが好きで、洋楽が好きで、
たまに朝ごはんにクロワッサンが出てくると喜ぶのが、今の私です。

 

けれど同時に、毎年年賀状を書いて、日本語を使って、
最近はサボり気味だけど書き初めもして、着物が好きで、

たまに家で抹茶をたてて、緑茶を飲みながら和菓子を食べて、
お盆にはお墓参りをして、箸をつかって、部屋では靴も脱いで、

やっぱり朝ごはんはご飯と味噌汁だなあ、

と思うのも今の私です。

 

「日本人でありたい」


といいながら、「日本人である」ということが
どういうことなのかもよくわかってないし、正解だってありません。

 

けれど、尊いと思う文化や思想を受け継ぎ、
それを同世代や次の世代に伝え、
全力で「胸を張って日本人と言える」日本人に、なりたいなあと思います。

 

長くなりましたが、
ふと思ったことを書き連ねてみました。

 

それでは。