山羊に憧れたヒツジ

なんかもっと、日常を楽しんだらいいじゃん。

Feed the birds

タイトルは、

日本では「2ペンスを鳩に」という邦題になっている歌の名前です。

 

中学生のときに合唱コンクールで歌った曲で

その名の通り

「どうか2ペンスを鳩のために使って

パンくずを買いませんか?」という歌詞。

 

今私の周りにいる多くの人は

2ペンスすら鳩にくれてやらないらしい。

寂しいな。

 

さて、物乞いに出会う度にいつも、

私はどうするべきなのかなって悩みます。

.

最近では、手頃なサイズのお菓子を

「物乞いが来たらあげる用」として

バッグにしのばせておいたりしてます。

(半分位は結局自分で食べる)

.

.

2度ほど、お金をあげたこともありますが、

その2回とも、周りにいた人に批判されました。

.

周りの人に意見を求めると、

たいていの人は「あげない方がいいよ」と言います。

.

与えるだけでは本人のためにならないだとか、

あげる人がいるから物乞いするんだとか、

物乞いの子供の後ろには大人がいて、

その子にあげても搾取されるだけだとか、

お金をあげたらどうせクスリを買うんだとか。

.

.

日本人(って括るのはよくないんだけど)って、

豊か故に冷酷だなあって思いました。

.

私は性善説を信じてるから

そんな、はなから悪い想像をして

突き放すことはしたくないし、

クスリとかそういう

良くないことに使うとは思いたくなかった。

.

でも、クスリを実際に買う子がいたとしたら

その子にとって「悪いこと」ではないんだ、

というのは最近気付かされたことです。

「悪いことだと思ってないから、する。」

それを悪いことだと教えてくれる人なんていないから。

.

あるいは、悪いこととわかってても、

空腹を紛らわしたくてクスリに手を出しちゃう子や、

みんなやってるからお前もやれよってので

手を出させられちゃう子もいるっては

本で知りました。

.

てか日本だって、お金無いのに

僅かなお金をタバコやお酒にあてちゃったり、

なんてよくあることで、

なんも変わらないじゃんっていう。

クスリも種類によっては

タバコやお酒より何倍も害は少ないそうだし。

.

.

また、日本人は

ただ与えるのは良くないっていうけれど

イスラム教では「喜捨」は良いこととされていて

そうやってお金ある人が

お金のない人を支えるというのが

教えの中にあって。

.

そうやって支えあって生きてくのが、

生きていけるのが人間なんじゃないかなあ

とかチラっとおもってみたり。

.

野生動物みたいに、

力がないやつは死んでもしょうがない、

なんて切ない。

(動物の中にも支えあっていくのもいますしね)

.

.

そして最近は、

物乞いをしてる女の子と

おしゃべりする機会があったり、

物乞いをしてる人と

仲良くなった人の話を聞いたり、

.

.

物乞い、という存在がより身近になりました。

.

その人たちは、仕事もなくて、

時には家すらなくて、

普段食べるので精一杯で、

それどころか食べるものを買えないことも

あるくらい、お金に困っていました。

.

.

だから、街に出て物乞いをするそうです。

.

彼らにとっては、それが貴重な収入源。

.

そんな彼らを目の当たりにしたら、

「今はとりあえずお菓子をあげることで

何も出来ないモヤモヤを誤魔化してる」けど

それでいいのかな?って思えました。

.

やらない善よりは、やる偽善の方が

だいぶマシだとは思うけれど。

.

それに、確かに、

クスリを買うよりはお菓子の方がいい。

けど、そうやってほんとに

生きていくためのお金が必要な人たちに

一口サイズのお菓子をあげたところで

「一時的に美味しい」だけ。

.

お金をあげるのは、

何に使われるかわからないという

リスクがあるから?

物乞う事に依存させてしまう可能性があるから?

.

そんな勝手な思い込みで、リスクヘッジで、

彼らがごはんを食べられないのも違う気がするし、

.

お金をあげるのも、意外と大事なのかなあって。

.

でも、継続的にお金をあげれるわけじゃないし

私だって所詮貧乏学生で

お金に関しては自分のことで手一杯だし。

これが俗にいう、

「ボランティアの限界」だと思う。

.

.

そう考えると、

まず彼らに、彼らがキャピタルゲイン

得ることのできるようなビジネスを

考えるのが、いちばんかなあともおもったり。

そこから、インカムゲインが得れるような

ハコ作りをしてくのが理想。

.

でも、ボランティアに限界があるように、

ビジネスにも限界があって、

こういう極貧のターゲットには

やはりボランティアから入って、

支援の過程で少しずつ、

ビジネスを導入していくのがいいと思うし。

.

.

まあそれにしたって、

今の私が個人的にできることではなくて、

友達くらいは巻き込めるけど、

もっと沢山巻き込んでいくほどのノウハウはないし、

私の将来的にターゲットとしてる難民とは

違うから、二兎追うものは一頭も得ず

になるのも笑えないし、

.

今の段階では理想は理想でしかないから

今の身の丈にあった、私のできることや 

するべきだなって思うことを

具体的に見つけていかなきゃなあって。

.

.

結局、お金やお菓子を

あげるべきなのかどうかも

その物乞いのバックグラウンドを聞いたり

家に連れてってもらったりして、

「物乞い」で括らないで

その人個人として、あげても

大丈夫なのか、あげるべきなのか を

見定めてった方が良いんだろうな。

.

.

あとは、同じお菓子でも、

より栄養価の高いものがいいなあと思うので

何かおすすめがあったら教えてください笑

.

.

なんかごちゃごちゃ書いて、

全然しまりもよくないけど、このへんで。

eating is killing

動物を、自分の手で殺して

捌いて食べてみたい。

 

私は常々、そう思っています。

 

こんなことを言うと日本では

「もしてかして犯罪者予備軍?」

なんて思われてしまうかも知れません。

 

私がそれをしてみたいのは

快楽のためでは、もちろんありません。

 

「生きものをいただいている」

 

「生き物の命を頂いて、生きている」

 

ということをきちんと、

身をもって感じたいからです。

 

「殺す」

という会ったことも無い誰かに押し付けている、

「汚い」「残酷」と言われるようなことを自分の手で行い、それがどれだけ怖いことか、労力のいることかを知り、「生きる」「命を奪って生きる」ということに向かい合いたい。

 

今の自分が、これらのことに対して発言をしたところで、手を汚したことのない人の言綺麗事でしかありません。

(もっとも、生きるために殺す行為は「手を汚す」ような汚い行為ではないと思いますが。)

 

生き物を殺すことの「抵抗感」や「罪悪感」。

それは、慣れてしまうべきものではないと思う。

けれど同時に、避けるべきものではないと思っています。

 

野菜だってお肉だって、世の中のほぼ全ての食べ物は「命」をいただいてる。

それにもかかわらず、命ということから目を背けている人が多すぎると思う。特に、日本は。

 

「命をいただいている」という実感が生まれれば、それこそ、食料廃棄の問題も少しは改善されるのではないかな、と思います。

 

今、世界では、今の世界の人口が2倍になっても大丈夫なだけの穀物が生産されていると聞いたことがあります。

が、現状はどうでしょう?

 

飢餓や栄養失調で亡くなる子供が沢山います。

明日食べるものがなくて、困っている人たちがいます。

 

何故?

 

食べ物は十分にあるのに?

 

それは私たちが不必要に買い込み、家畜の餌になったり、過剰な食品が店頭に並べられ捨てられていくからです。

 

私は今、居酒屋でバイトしています。

お客さんたちは、平気でご飯を残していきます。そして、罪悪感さえもたず、笑って帰っていきます。

 

その瞬間、食べることが出来ずに死んでいく人がいるのに?

 

働いていて、どんなに混んでいても忙しくても、仕事で辛いと思ったことはないけれど、残されたごはんを捨てる瞬間はいつもとてつもなく辛いです。

 

だから、もっときちんと

「命を頂いている実感」をまずは自分があらためて知り、持ちたい。そして、広めていきたい。

 

食料廃棄を、なくしたい。

 

と、心から思います。

 

命の重みは、人も動物も同じなのだから。

 


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LGBT

1週間ほど前の話ですが、

私の所属している団体で行っている、

LGBT勉強会に参加してきました。

 

みなさんは、LGBTに対して

どんなイメージを持っていますか?

 

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ちなみにLGBTとは

――――――――――――――――――――

L lesbian(女性同性愛者)

G gay(男性同性愛者)

B bisexual(両性愛者)

T transgender(トランスジェンダー)

――――――――――――――――――――

の頭文字をとったもので、

最近では性的マイノリティー全体を

指したりするそうです。

 

勉強会では、 

用語説明から始まり、

当事者がこれまでの人生について話したり、

当事者たちによるパネルディスカッション、 

LGBTに対する社会の動きや、

それらに対する反対意見の紹介、

意見交換のワークショップなどがありました。

 

ただLGBTを擁護するのではなく、

参加者がきちんと向かい合えるように、

反対意見もきちんと紹介するスタンスは

良いなあ、と。

 

また、自分たちがどういう経緯で

「自分はLGBTなのだ」と自認したのか、

自分の中の違和感との葛藤など

生の声を聞くことが出来ました。

 

 

私は元々、

LGBTに偏見を持ったことがなくて、

むしろ偏見を持ち、

 

「自分は絶対LGBTじゃない!」

 

と言い切れる人に対して

疑問を抱いていました。

 

 

だってどうして、

今まで同性を好きになったことがないだけで、

自分のこれからの長い人生でも

絶対同性を好きにならない、

と言い切れるのでしょうか?

 

今までがそうじゃなかっただけ。

これから、好きになるかも。

 

と、私は思います。

 

自分がバイセクシャルの可能性なんて

死ぬまで無いとは言いきれないと思う。

 

また、今までの恋が

ほんとにちゃんと好きだったのか

一時の気の迷いなのかというのも自信はなく

別に異性の身体に欲情したこともないので

アセクシャル(無性愛者)じゃないと

言い切る自信もありません。

 

だから別に、LGBTというのは

特別なことではないよなあと思います。

 

ただ、社会的には

マイノリティーだというだけで

彼らは肩身の狭い思いをし、

異物として見られるのが怖くて言い出せず、

辛い思いをたくさんしてきています。

 

本当の自分を偽って生きるのは

本当に辛いと思います。

 

だから、多くの人が

彼らの存在をもっと認知し、

当たり前の存在として

受け入れていく必要があるのだなあ、と。

 

そして、ゆくゆくは、

パートナーシップ制度など

同性の恋愛が社会的に認められ、

さらには性別を変換することも

もっと容易い条件で可能になってほしい

と感じています。


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とはいえ、冷たいようですが、

私は彼らに同情する気もそこまでありません。

全くないわけでもないですが…。

 

なぜなら、彼らの悩みや辛さは

特別なことではないと思うからです。

 

トランスジェンダーFtMの方が、

鏡を見る度に、

「今日も私は女なんだ」

ととても辛くなると言っていました。

 

私の友達は鏡を見る度に、

「どうして自分はこの顔なんだろう」

と毎日とても辛くなると言っていました。

ブスだと言われて育ったという

外的要因があるにせよ、

鏡を見て辛くなる人はいるでしょう。

(その子は、もっと可愛ければなあではなく、

 本気で自分の顔を嫌ってしまっています)

 

「いやいや、度合いが違うでしょ」

 

と言われてしまうかもしれません。

けれど、辛さの度合いなど

本人以外わかりませんし、

どうして比べることが出来ましょうか。

 

性別と同じく、

容姿もそんなに簡単に変えられるものではなく、

また変えることは

親に申し訳ないといった理由などで

言い出せない人も多くいます。

 

 

また、私はよく人から「変わってるね」

と言われます。

正直、とても辛いです。

 

LGBTの人の中にも、

「周りと違うことが怖い」

と言っている人がいました。

 

私も怖いです。

周りと違うことが怖いし、

浮きたくないです。

 

ですが、周りから浮かないように

努力した時でさえ、

「変わってるね」と言われてしまいます。

けれど、原因がわからないので、

どこが人と違うのかわからないので、

変えることができません。

 

だから、何が人と違うのか、

というのをきちんと理解出来ている彼らが

少し羨ましくもあります。

それ以上に辛いところが多いとは思いますが。

 

また、私は睡眠障害をもっていますが、

睡眠障害に関しての社会理解度は低く

きちんと原因を証明すると

仕事につけないばかりか、

車の免許すら取れない可能性があります。

なので、原因を証明するのは怖いですが、

日常で症状がでたときに

 

「みんな眠いんだから、

   睡眠障害を言い訳にするのは甘え」

「頑張ればどうにかなるでしょ」

 

と冷たく突き放されるのが現実です。

 

結局みんな、

なにかしらにおいてはマイノリティーで

一方でなにかしらにおいては

マジョリティーに所属してて

マイノリティーは辛い思いをしているのだなあ

とあらためて感じています。

 

だからこそ、LGBTだけでなく、

さまざまなマイノリティーに対して

理解し、受け入れることの出来る社会に

なって欲しいなあと心から思います。

 

ちなみに、勉強会の最後に、

「今の自分に出来ること」 

を考える時間がありました。

 

私はまず、

LGBTが「特別」でなくなるために、

認知度をあげることが、

そのために発信していくことが

必要なのかなって思いました。

 

そして、

それと同時に私が出きることって、

「何もしないこと」なのかなって思います。

 

「何もしないの???」 

 

と言われてしまうかも知れません。

けれど、

何もしない、というのは、

差別も特別視も問題視も同情もしないで、

彼らに接し、関わっていくという意味です。

 

私がマイノリティーの立場に

置かれた時に感じるのは、

問題視されたいわけでも

同情されたいわけでもなく、

「自分はこういうものだ」と

受け止めてもらうことだなあ、とかんじます。

 

だから、当たり前の存在として接するのが、

理想なんじゃないかなーーーーー?

って勝手におもっています。

 

この記事を読んでくださった皆さんにも

ぜひこれから関心を持っていってほしいです。

 

そして、

一緒により良い社会にしていきましょう。

 

それでは。

今日のさんぽ

お久しぶりです。

 

いつの間にか、

前の更新から1ヶ月も空いてしまいました。

  

春の足音も聞こえてきて、

お日様の下を歩くにはアウターもいらないくらい

ぽかぽかになってきましたね。

 

さて、今日は午前中に人と会った後、

交通費を浮かせるために

市ヶ谷から新宿まで歩いてみよう、

 

ということでお散歩をしています。

 

 

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 さっそく八幡宮に寄り道。

咲き初めの桜って好きです。

 

狛犬の顔が、どことなく間抜け。

 

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お花も咲いてました。

 


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かわいい。

 

そして通りかかった商店。


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 何に使うかわからない道具ばかりで、

気づかないところできっと

たくさん支えられているんだろうなあ 。

 

そんなこと思いながらふと見上げると、


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あんなところ、

どうやって落書きしたんでしょうか…

 

すごいなあ…


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あんな感じの屋根ところに住みたい…

こんな感じのベランダ好きです(笑)


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そして歩いていると、

この先に、何があるのかなって、

ワクワクさせてくれる階段。

 

つい登りたくなります。

 

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この渡し廊下?も歩いてみたくなる。

 

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可愛い窓。

家にこんな窓欲しいな。

反対側の窓を見上げると、、、


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動かない、猫。

…置物?

ちょっと私が移動しても


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ガン見。

ちゃんと生きてました。

 

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見渡しのいいところに出ました。

 

お墓の近くは、

見渡しの良いところが多いので

私もお墓の近く住もうかなって思ったり。

 

お墓を撮るのはちょっと良くないけれど


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面白い形の機械!

なにこれ!虫みたい!

 

あ、馬もいました


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こういうのに目を通すと、

少し賢くなったような…?


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こう見ると、どの建物も

窓やベランダの形が違っておもしろい。


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美味しそうな看板につられて


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キノコののったパンを購入。

今日のお昼ごはんです。

 

たまに街中を歩くのは、ほんとにすき。

お日様の下ぽかぽか歩くのは、

ほんとに幸せです。

 

風は気持ちよくて、好きな音楽聴いて、

 足元では小さい花が凛と咲いている。

 

みなさんも、ぜひ歩いてみてください。

 きっといろんな出会いが、発見があります。

 

そんな春の1日でした。

(駅に着いていないので、これからまだ歩きます)

 

では。

寄り添う。

こないだ、たまたま


新宿にいた友達と会っておはなししました。

 

 

久しぶりに。

 

 

なんか最近
前回の記事でも言ったように


自分の悪いところや


できていないところがたくさん見えていて


嫌気がさしていたりしました、

 

 

が、

 

 

その友達と話していて


その子が私の話で


「直近の目標が見えた」


って言ってくれたり

 

 

少しでも私の話に価値を感じてくれていて

 

「話せてよかった」


「まみっこのこういうところすごく良いと思う」


「もっと長所生かせばよいのに」


といった感じでべた褒めしてくれて
少し勇気がでました。

 

 

たまに


人を見る力があるよね


と言われるのですが

 

私は最近まで

共感力がないから

人に寄り添ってあげられないと思ってました。

 

でも、寄り添うことって

共感することだけじゃないなあって。

 

たとえば

「あなたの行動ってこういう特徴があるから、

 こういうところを意識して行動したほうがいいよね」

というように、

その人がよりビジョンに近づけるように

 

一緒に考えて、提言してあげる

 

というのも

寄り添う形のひとつなのかなって。

 

共感するのが苦手で

 

協調性もない私だけれど、

 

誰かと寄り添って

一緒に生きていくことができるんだろうなあと。

 

なんかほんとうに勇気ももらえたし、

自分と向き合える時間でした。

 

自己分析って

 

自己分析してる時より

人と話してる時の方ができるんですね。

白紙の日々

最近、あえて

予定を入れないようにしていました。

 

本当に必要だと思ったことに対して、


いままで予定が入っていて
動けないということが多かったから。
思考もできていなかったから。

 

その結果、


必要なことに対して動けたか。


考えることが出来たのか。

 

 

ふたを開けてみると、


不必要なことばかりしていました。


寝坊もたくさんしました。
浅はかな欲望にも負けました。
いつのまにかバイトの時間になってました。

 

本当に自分が嫌になりました。

 

ひとりだとこんなにも何も出来ないのか。
後ろめたくなりました。

 

けれど、

これはつまり、
今までいかに思考や主体的な行動が
出来ていなかったこという事実が、
夢に関係の無い予定(関係あるものもありましたが)に
かき消されていたかということです。

 

多忙、時間に追われる、
というのは恐ろしいなあと。

 

たしかにこのまま時間に追われていた方が
余計な事考えずに人生終われるなあと。

 

今回自分のだらしなさが


という程見ることが出来たので

 

これからひとつひとつ向かい合って
納得のできる自分に
理想の自分に近づけるように
努力していきたいとおもいます。まる。

逆境

逆境、

っていうと大それた感じしますよね。

 

逆境に向かっていく人は

Mだ、なんて言われたりする。

 

 

昨日駅から出たとき、

めちゃくちゃ寒くて、走って、

 

「逆境に向かっていくってこういう感じなのかな」

 

って思った。

 

寒い風に向かっていく。

 

寒いからって

外に出なくては目的地や目標にもたどり着けないし

 

首をすくめて体縮こませても

現状は何も変わらない。

寒いことにはかわらない。

 

なら、

 

走っていけばいいじゃんって。

 

自分から思い切って向かっていけば

最初はつらいかもしれないけど

 

目標にも早く到達できる可能性はあがるし

その分転ぶとか事故とか

リスクもあがるかもしれないけれど

 

いつの間にか体があたたまって

その環境を苦だと思わなくなっていく。

 

むしろ、爽快感すら感じる。

 

さらに目標にたどり着いたときに

達成感も大きなる。

 

 

って考えたら

 

むしろ逆境に向かっていかないほうが

長い目でみたときにMなかんじもするし

もったいないし

 

ローリスクだけどローリターン。

 

 

寒い風の中、そんなことを思ってた昨日の帰り道でした。

では、今日も一日Happyちゃんでいきましょう!