山羊に憧れたヒツジ

なんかもっと、日常を楽しんだらいいじゃん。

やし酒飲み

『やし酒飲み』

 

とは、小説のタイトルです。

アフリカ文学の最高傑作。

 

日本人的な感覚で読むと、

わけわからん!ってなります。

固定概念覆されます。

 

とてもオススメなので読んでみてください。

 

ってだけ。

ネタバレはしたくないので、

何も言いません。

 

偏見のない眼でぜひ、

一読してみてください。


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躓いたら、思いに立ち返る。

最近の私は、

自分のすすむ方向に迷走してて、

前に進まないどころから、

足踏みしていたのかすらわからない、

そんな日々が続いていました。

 

自己理念【日常にキラキラを】

 

ひどく抽象的な理念ですが、

私はずっと、『日常』を

キーワードにしてきました。

 

けれど、じゃあ、

なぜそこにたどり着いたのか。

それを、ずっと忘れていました。

思いを、置き去りにしていました。

 

***

 

気づいた時には、

「理不尽で生きられない

    途上国の彼らに何かしたい」

と思っていました。

 

なぜ?

 

きっとそれは、

「困っている人がいたら助けたい」

と思うごく当たり前の感情から

来てるのではないかな、と

私は思っています。

 

あるいは、

自分を囲んできた理不尽に対し

こういう思いをする人を

増やしたくないという思いも

あるかもしれません。

 

そして、夢を探す途中で

テレビで「難民」という存在を知り、

そこにフォーカスを当て始めました。

 

***

 

大学に入ってから、

「まず途上国というものを見てみよう」

という単純な思考回路によって

途上国や貧しい地域を

ボランティアやスタディツアーを通して

訪れるようになりました。

 

***

 

初めて行ったインドの

貧困を抱えた山村で見た、児童労働。

 

しかし、同時に、

その村の多くの子供たちは

貧しい村でも綺麗な水色の制服を着て、

学校に通っています。

 

(やはり貧しい村の中でも

  格差があるのか…)

 

けれど、それは違いました。

 

村の中で格差があるのではなく、

その児童労働をしていたのは

隣国から出稼ぎで来たネパール人の

子供たちでした。

 

彼らは言葉のわからない国で

教育も受けられず友達もおらず

川辺の岩でガタガタのところに、

それこそ洪水がきたら、

一番に流されてしまうところに、

小さなテントを張って

必死に生きていました。

 

実際に目で見るだけでは

わからなかった、真実。

 

***

 

貧しい人にアプローチをする時に

訊く意見の中に、

 

「その地域を開発して、

    彼らの仕事を豊かにしよう」

「仕事を選択できるようにしよう」

 

「教育を通して、

    彼らの選択肢を広げてあげよう」

 

というのがあります。

どちらも、とっても素敵な考え。

それに対し、

まっすぐに行動している人たちを

純粋に尊敬します。

 

が、

 

私は開発を通して豊かにすることに

あまり賛成が出来ないです。

 

***

 

まずひとつめの理由として、

そんなにどこもかしこも開発しても

地球の資源って限られてるよね、

ということ。

 

***

 

そしてふたつめ、

環境問題的にも開発していくのは

どうなのかな、という思い。

未だ、ほかの動物達に被害を与えるの?

また地球を汚していくの?

人間だけの地球ではないのに、

という思い。

 

***

 

そしてみっつめの理由として

考えてしまうのが

「選択肢を増やした後」のはなし。

 

たしかに、

「貧しくて選択肢もなくって、

辛いい仕事だった人が、

やりがいを感じる仕事に転職して

さらに給料をアップして

貧困から抜け出しました」

というのはとても素敵な美談。

 

その人が幸せになったのなら、

私もとっても嬉しいです。

 

けれど、

じゃあその人がしてた仕事を

結局誰かがやらなきゃいけない。

 

日本では、

3Kと呼ばれる嫌な仕事の多くを

外国人労働者が安い賃金で

担っていると聞きました。

 

選択肢ができて選択をした結果、

ITがとってかわるまでは、

その仕事を結局誰かが

担わなければいけないのです。

 

また、

経済的に下の方にいた国が

発展して豊かになりました!

をいろんなところで行うと

結局全体が上にあがって、

相対的に見たとき、

下は下のまんまになるんじゃない?

っていう疑問。

 

あるいは、選択肢を知って、

けれど結局良い仕事につけなかった時、

同じ仕事をしていても比較してしまい、

「なんでこんな仕事しなきゃいけないんだ」

と幸福度だって下がります。

 

日本では、モノやお金豊かだけれど、

心が乏しいと言われてます。

 

じゃあ、開発して経済を回すことが、

彼らの幸せなのかな?

と考えてしまいます。

 

 

***

 

上記の理由は、

自論でしかないものもあるけれど、

 

開発することは

メリットもデメリットもある。

『先進国』という視点から見たら

正解に見えるそれに

私はまだ納得できてない。

 

彼らにとっての幸せってなんなのだろう?

豊かになるってなんなのだろう?

 

その答えは、なかなか出ませんでした。

 

…じゃあ

キレイでストンといく答えが

見つかるの?って聞かれたら

答えられないし、

幼稚な綺麗事を並べてるだけ

というのも、わかってはいる。

 

わかってはいる。

 

そして、

その綺麗事を現実にしたいのなら、

今の私には比べ物にならないくらい

血の滲むような努力をするべきなのに、

 

自分の幸せを守りたい、と

甘えている自分がいて、

その横には

「何をどう頑張ればいいのだろう」と

足踏みだけをしてる自分がいる。

 

本当に何もかも、中途半端。

 

***

 

そんな私が出会った、

とあるインドのスピリチュアルリーダー。

 

彼女は言っています。

 

『私の宗教は、愛です』

 

『世界中の誰もが、

   せめて一夜でいいから怯えずに寝られますよう。

   誰もが、せめて一夜でいいかお腹いっぱい食べられますよう。

   暴力で入院する人が世界中で一人もいない日が

   1日だけでもありますよう。

   すべての人がせめて一日だけでも見返りのない奉仕を行い、  

   貧しい人を、困っている人を助けなければならない。

   このささやかな夢だけでも叶うことが、私の祈りです』

 

***

 

彼女の言葉を聞いたとき、

自分の目指したものがわかりました

 

「安心して寝る」

「安心してご飯を食べる」

「安心して外を歩けて、

お日様が気持ちいなあって思える」

 

そんな私たちにとっての当たり前が、

実はとっても幸せなことで、

そんな当たり前の日常を過ごして

「幸せだ」って思える人を増やしたい。

 

たしかに、私が出会ってきた

貧しくても幸せだと笑っている人々は、

それを持っていた。

 

食べ物を買うお金がなくても、

助け合いでどうにか食べていたし、

みんなで川の字で寝て、

伸び伸びと外を歩いていた。

 

自分の幸せが、今自分がここにいて、

愛する家族や恋人がいることなのだと笑った。

 

『日常を幸せだと思える人を増やそう』

 

『そんな日常を、つくろう』

 

***

 

途上国への思い、

理不尽の被害者になってる人々へのやるせなさ、

青空のしたを歩くという幸せ、

人間中心でなく自然と共生したい、

 

私のいくつもの思いが、

ぐるくまるまわってたどり着いた

『日常を豊かにしよう』という答え。

 

***

 

この気持ちを思い出したのは、

Re:actの新谷りょうくんとりくおが開いてた

『カタルバ』ってイベントに参加して

自分の思いを語った時。

 

びっくりした。

 

そっか、私の中には

こんな熱い思いがちゃんとあったんだ、って。

悩んでるうちに、足踏みしてるうちに、

いつの間にか忘れてしまっていた。  

思いを置き去りにしてしまっていた。

 

だから、

もしこれを読んでくれてる人の中に、

足踏みしてる人がいたら、

私はどこに向かいたいんだっけ?って

なっちゃってる人がいたら、

自分の思いを誰かに話してみてほしい。

 

置いてけぼりにしてないかなって、

振り返ってみてほしい。

 

そしてまた、1歩1歩進んでいきましょう。

 

瞼に焼かれて、

〖 今の気持ち 〗

 

泣くと、心が洗われる。

 

泣いた後に繰り出した街は、1日降り続いた雨が止んでいて、少し肌寒くて心地よくて、

「私も空も泣き止んだばっかりだ」ってなんか微笑ましくなった。

 

綺麗な写真や上手い写真を見ると、思い通りにいかない自分のそれにもどかしくなる。

すごく劣等感に苛まれる。

今日の帰り道も、そうだった。

 

けれどそんな時は、周りから評価されたいだけの「いい感じの写真」を繕おうとしてるだけ、自分の写真ではなく誰かの写真の幻影を追ってしまっているのに気づかされた。

 

いっぱいになってしまっていると、ついつい見過ごしてしまうけど、悩んでるくらいならファインダーを覗けよ、って。

 

だってそれくらい、笑っちゃうくらい、

世界は美しかった。

 

本当に撮りたいのは、

瞼に焼かれた私の世界の、色。

 


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 上は、私の撮った写真たちです。

 

#瞼に焼かれて色を変えた私の世界を

オリジナルのタグなので、

Twitterやインスタで検索してみてください笑

i remember you

ぽっかり。

 

今日は、

その穴はどこかへ消えてしまっている。

かくれんぼのつもりなのかい?

 

馬鹿馬鹿しいから出ておいで。

 

 

ぽっかり。

 

その言葉を以前も綴ったけれど、

また綴らせてください。

 

このあいだ、

久しぶりにライブ仲間の1人に会った。

1年以上、会ってなくて、

駅の前で「久しぶり」と言い合って、

彼の家で、一緒にギターを弾いた。

 

別に仲の良かったわけでも

ないのだけれど、

言葉で着飾らなくて良いのが

とっても居心地がよかった。

 

エレキギターを弾くのも、

1年以上ぶり。

バンドを解散したその日から、

黒いケースの中に

しまったまんまにしてた。

 

1人で弾くギターは、味気ない。

 

楽しくないわけじゃないけれど、

やはり誰かと合わせるのが良い。

欲を言うならば、

煽り合うようなドキドキする

そんな掛け合いをしたい。

 

 

久しぶりの再会とともに出てくるのは

ぽろぽろと会話に出てくる、

『彼』の名前。

 

もう二度と、

会うことは無い『彼』の名前。

 

「暗くなるから、

  『彼』の話はやめよう」

 

ニュアンスは覚えていないけれど、

そのような類の台詞を、

私の友人は私に言い、

 

けれど避けようとしたって、

ぽろぽろ、ぽろぽろ。

そりゃ、そうか。

私の今のライブ人生は、

彼が作ってくれたのだから。

 

「ずっと忘れないよ」とか

「いつも胸の中にいるよ」なんて、

そんなキレイな台詞を吐く気は無い。

 

意識的に思い出す気は無い。

同時に意識的に忘れる気もない。

 

やはり、そういうのは

私と『彼』には合わないのだ、と

弦をはじきながら思ったんだ。

 

好きでも嫌いでもない『彼』のこと

 

忘れも思い出しもしない、私。

 

そんなジグザグな関係。

ただあの時はたしかに、

キミの存在は私たちの中にいたね。

 

i remember you.

 

 

そんな、ある日の話。

 

感情と理想や思想のギャップ

『途上国の人たちに何かしたい』

 

けれど、

具体的な行動が出来ず

具体的な解決策が出る前に

私の中にじわじわと広がる、

 

『海外に対する恐怖心』

 

『現地で働きたくない』

 

今までの経験から思うのは、

きっと私にとって、

海外で生活するというのは

パニックゾーンにはいる。

 

だから、それをしないという

選択をしようとしている。

 

けれど、

そこに納得してない自分もいる。

『直接的な支援がしたい』

『なぜ自分は恐怖心を越えられないのか』

 

***

 

 

『難民に対してなにかしたい』

 

けれど根本的な原因を

第三者が払拭することは

無理なんじゃないか、と

思えてしまっている自分がいる。

 

『けど、難民って日本にもいるじゃん』

 

ただ、

昨年度も1万人の申請者の中から

難民認定を受けたのはたしか38人。

シリア難民は1家族、のみ。

 

日本にある難民収容所では、

人権を迫害された扱いにより

実際に人が死んでいる。

 

申請してしばらくはホームレス生活。

そのあげく、強制送還される現状。

 

『限界を感じてしまった』

 

 

それはきっと、

支援団体に対して、日本の仕組みに対して、

日本人の「他人事」や「無関心」に対して、

そして、「自分自身」に対して。

 

***

 

だから私は、言い訳して逃げた。

 

自分のできる形で、

間接的にだけれど彼らにつなげよう、

そうやって自分を正当化してたけど、

本当は限界を感じたから

そこから目を背けたくて

直接彼らを支えることから

逃げたんじゃないのかな

 

…んだと思った。

 

それは選択なのか、逃げなのか。

今の私にはわからない。

 

***

 

ただ、

「難民に対してアプローチする」

と言っている友人に劣等感を抱き、

自分の選ばなかった選択肢に思いを馳せ、

 

足踏みしている自分がいる。

 

それはきっと納得出来ない証拠。

 

自分自身にも、自分の行動にも、

スキルにも、選択にも、

すべてに自信が持てない。

 

こんな私に、

なにか出来るんだろうか、と。

 

***

 

 

感情と理想や思想のギャップが、

ジレンマを生み出している。

 

机上の空論を並べては、

「無理だ」と決めつけて、

愚かな思想と言葉を並べてしまう。

 

けれど、じゃあ、

「思考しても動かなければ

   世界は何も変わらない」

 

行動をしないというのは、

知らない、無関心であるのと、

何ら変わらない。

 

どちらも、何も変えない。

 

思いと思考のある行動は、

人を動かし、仕組みを動かし、

そしていつか世界を少しだけ変える。

 

私は、変えたい。

 

思いには、世界を変える力がある。

 

ほんとにちっぽけかもしれないけど、

思いと行動が重なった時に、

少しだけ世界を変えられると

私は信じたいし、変えたい。

 

***

 

『逃げたんじゃなくて、

   自分の強みを生かすために

    間接的な手段を選んだんです』

 

『私のやっていることは、

    長い目で見た時に世界を良くします』

 

と、言えるようにするには、

 

きっと、「なんでなんで」と

過去ばっか振り返るのではなくって

 

具体的に行動するしかないし、

 

してみないとその行動が

自分にとってよかったのかなんて

絶対わかりっこない。

 

***

 

と思いつつも、

現地での直接的な支援に、

それに従事してる人たちに、

もっと純粋に世界を良くしようと

している人たちに、

 

負い目を感じてしまう。

 

のは、なんなのだろう。

成果やEvidenceがないから、

なのかな。

 

***

 

自分の中で

まだ折り合いが付けられてないので

これが全てじゃないけど、

今日話してて感じたこと。

 

でした。

私の夏休み。

「君は飛行機に乗れないよ」

 

地球の裏側、メキシコシティの空港。

その一言から始まった、8月。

 

【 私の夏休み☀ 】

 

自分の確認ミスで帰国できず

空港にいた日本人に助けてもらい

どうにか翌日には

別の便を買い直して

カナダで空港泊を経験してから帰国し、

 (カナダでも日本の空港とのシステムの違いで

飛行機に乗れなくなりかけました笑)


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写真はカナダの空港からの景色。

 

1ヶ月ぶりの日本食に浸る時間もなく、

そのまんますぐに関西行きの

夜行バスに飛び乗りました。

 

***

 

ハプニングもあったけど、

無事に集合時間に間に合って、

 

〖 いざ、無人島へ🐟 〗

〖 リーダーシップ育成プログラム~無限島~〗


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友達の企画するプログラムに参加。

理由は単純。

 

無人島サバイバルがしてみたい、

という昔からの夢を叶えるため。

 

けれど蓋を開けてみると、

杜で魚をつくことも出来ず、

どの虫が危険なのかもわからず、

魚の血抜きのやり方すら忘れてる始末。

 

きちんと知識をつけ体力もつけ

今度あらためて、

無人島サバイバルに挑戦します。

(※プログラム自体は本来、

   サバイバルをするためものではありません。)

 

http://lifecat0627.hatenablog.com/entry/2017/08/22/170247

 

***

 

3日間の無人島生活を終えて、

 

高槻のお祭りにいったり、

古着屋めぐりしたりと、 

京都で友人達を振り回した後は、

 

GBP合宿👏 〗

〖 1日1000円以内で面白いことやれ! 〗

 

鴨川の河岸で野宿しながら、

 

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京都の街を練り歩きながら

おもしろいについて考えながら、

1発芸をする3日間が始まりました…。

 

最終的には心斎橋の真ん中で

踊るというわけのわからない終わり方で

合宿は幕を閉じました。

 

面白い、を作るって難しい。

 

http://lifecat0627.hatenablog.com/entry/2017/08/17/020456

 

***

 

〖 女子4人でユニバ💞 〗

 


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大学の4年女子4人で

ミニオンコーデして行ってきました!

 

人生2度目のユニバは

自撮りしまくって、濡れまくって、

そのままホテル女子会という

イマドキ女子な1日でした!

(すぐ寝ちゃったのが後悔)

 

またこのメンツで遊ぼ!

 

http://lifecat0627.hatenablog.com/entry/2017/08/22/163737

 

で、そのあとネパ隊の先輩ズの

飲み会にのりこんで、

翌日、人生2度目のヒッチハイクして

10日ぶりに帰宅。

 

***

 

1日スーパーのんびりした後は、

青森のおばあちゃんの家に3日間の帰省。

 

お手伝いしたり、と

おばあちゃん孝行してきました。

元気そうでよかった。

 

***

 

その後東京に帰ってきてからは、

 

就活のセミナーに行ってみたり

大好きなメンツと久々に飲んだり

イベントに顔だしたり

高校のメンツでスマブラ大会したり

通りがかりのお店で1人飲みして

常連さんに奢ってもらったり、

終電逃してサラリーマンに

ネカフェ奢ってもらったり、

ポートレートの撮影も久々にしたり、

お泊まり会をしたり、

岡崎体育の再現MVを撮ったり、

 

と、初めてのことや

久しぶりのこともありつつ

大好きな、なにげない日常に戻りました。

 

***

 

東京帰ってきてから挑戦したことといえば、

『ビジョンプレゼン』をしてみたこと。

 

人前で話すのは苦手だし、

それ以上に「100%形になった」もの以外を

アウトプットするのがとても苦手な私。

 

けれど、これからは60%でもなんでも、

自分の外に出してみる、

そしてブラッシュアップする、

というのをたくさん経験して行く必要が

あるなぁと感じてます。 

 

http://lifecat0627.hatenablog.com/entry/2017/08/27/161709

 

***

 

そして夏休みのラストは

 

〖 ボランティア🌻 〗

〖 日生を里海のテーマパークへ🌊 〗

 

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ということで、

所属してる学生ボランティア団体で

私史上初めての地域活性化へ。

初めての岡山で、初めての日生で、

初めての広報チーム。

 

『お祭り』などというように

これをしたら良いというのがわからない段階。

とっても難しかったけど面白い、

地域活性化というものに

とても関心を持ちました。

 

詳しくは、また別の記事で書きますが、

 

そんな感じで日生の活動とともに

私の夏休みは終わりました。

 

***

 

やりたかったこと、

まだ全然こなせてない!ので

 

後期は、

全力でスペイン語の単位を取りにいきつつ

駆け抜けていきます。

みなさんよろしくお願いします😁

何者。

「何者にもなれていないボクはダメなゆとり人間なのだろうか」という記事を読みました。

 

http://www.shuanblog.com/entry/2017/07/24/%E4%BD%95%E8%80%85%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%AA%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E5%83%95%E3%81%AF%E3%83%80%E3%83%A1%E3%81%AA%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%A0

 

 

 

感じたことを書いたら、

 

エラーですべて消えたので

 

あらためて読み返して

今感じてること

記事を通して考えたことを

書き連ねてみます。

 

途中から記事の感想からは

脱線してるかもしれないですが(笑)

 

*****

 

…感じたのは、まず

境遇が少し似てるなあということ。

 

夢を目指してて、いじめられて。

 

けれど、違うのは、

私はいじめによって夢を諦め、

彼はそれでも追いかけ続けた。

 

それでも夢を見続けた彼は、

私よりきっと強くて、

羨ましい、と純粋に思いました。

 

私は、限界まで、

(自分には無理なんだ)と理解できるまで、

夢に挑戦することが出来なかった。

中途半端で目を逸らしてしまったので

今でもたまに、

(あの時諦めなければ)と

未練がましく考えてしまいます。

 

 

*******

 

『何者でもありませんでした』

 

そうは言っても私からしたら

「金も持たずにアメリカいくなんて

    勇気あるなあ」「すごいなあ」

と感じてしまう事を実際にしています。

その行動力は、とっても尊敬します。

 

と同時に、きっと、

私誰かにとって「すごいなあ」

と思われることをしている。

そして、きっと

誰かの夢見る生活を送って、

誰かの夢を叶えている。

 

何者にもなれていないと思うし、

たしかに、何者かになりたい。

だって、不安だし。

 

けれど、

何者になる必要があるのかな、

という思いもあります。

 

だって、何者、ってのは何?

肩書き?アイデンティティ?地位?

 

何者かになろう、というか、

私は私であって

それ以外の何かじゃないし、

 

たしかに社会から見て、他者から見て、

私はまだ未熟で

何も持っていないけれど、

同時に無限の可能性をもってて。

 

今、自分が何者なのか

きちんと分かってしまったら、

残りの人生もつまらないのかなぁ、

ともちらり思ったりしています。

 

また、この記事を通して

「人と違う」ってなんだろう、

という点に関して考えさせられました。

 

私も少し前まで、

「人と違う自分」でありたかった。

けれど記事を読んで、

「自分がいつのまにか

    人と違くあろうとしていない」

ということに気づきました。

 

ネガティブに捉えれば、

なにか新しいことをやろうとしても、

探してみればそれが

二番煎じであったりだとか、

上には上にいることに対し、

自分の生み出せるものに

限界を感じたのかもしれません。

 

ただ、今は

「違くなくたっていい、

   どうせ同じではないのだから」と

ポジティブに捉えることがてきてます。

 

だって、同じ人はいない。

 

また、同じに見えてた人たちが、

結局私たちの生活を支えています。

なのに私は、

「つまらない生き方」

「みんなレールの上から

   外れないようにしてる」と、

社会に出たことのないくせに

小馬鹿にしていた節がありました。

 

けれど、そうやって

注目を浴びず評価もされずとも、

時計の歯車のように

コツコツと働ける人こそ、

きっと素晴らしい。

 

そういう人たちがいるから、

そういう人たちが社会を支えてるから、

「個性派」「天才」と

呼ばれる類の人たちが活躍できる。

脚光浴びることが出来る。

 

「何者」かに、なることができる。

 

 

******

 

私が誰かって聞かれたら、

 

「そこらへんに生えてるような、

    どこにでもいるまみっこです」

 

とでも答えようか。

 

特別じゃなくっていい。

雑草とような扱いでかまわない、

というか雑草のように行きたい。

雑草とっても尊敬してる。

 

青森の病院で生まれて、

東京で育って、

小さい頃から絵を描くのが好きで、

理不尽が許せなくって、

環境問題と国際協力に関心があって、

横浜の大学に通って、

海外憧れはしたものの、

やっぱり日本が好きで、

1人が落ち着くのに寂しがりで、

大切な人の笑顔のためには無茶もして、

夢を見つけるためにもがいて、

自信が無いから不安で、

誰かに認められたくって、

これから就活不安ですっていう、

 

文字で並べたら

ほんとにそこらへんに

転がってそうな大学生。

 

それでいい。

 

それだけじゃないことを

私が知ってるから。

そんな私を、まあまあ好きだから。

 

 

何者かは知らないけど、

 

それが私。

 


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