山羊に憧れたヒツジ

なんかもっと、日常を楽しんだらいいじゃん。

どんな生き方、する?

【どんな生き方、する?】
【ぽつんと一軒家見てました】

ご飯食べながら、
久しぶりにのんびりテレビを。
たまたま両親が見ていた
「ぽつんと一軒家」ってやつ。

ぽつんと一軒家、は
私は寂しくなっちゃうけれど、

山とかで暮らしたいなあ、
そういう選択もありやんな、
と思う今日の私です。

***

東京で育ったから、
東京もとっても好き!と思う反面、
都会でせかせか目標のために、
そして誰かのために
生きるんじゃなくって

田舎で農作物育てたり、
野生の動物を食べたり、
地域の人と支えあったりして、

『生きることを楽しむため』に
生きたいなあ、とは
小学校くらいから思っていて、

それこそ、映画化もした
漫画「リトルフォレスト」の生活は
とっーても憧れていて

ただ、
「都会ならではの
刺激がなくなったら
物足りなくなりそう…」とか

「今の生活に慣れてるしなあ」
「友達もみんな東京だしなあ」
「生活を変えるのは不安!」

というのもあって、
躊躇してる自分もいて

リスク思考だから、
そういう感情がけっこう
意思決定するときに勝りがち、
だったりもするのが今の私。

そんな中、この番組を見て、
『かっこいい』と思いました。

***

山で暮らそう!と決めて
兄弟の力をかけて7年かけて
素敵な家をたてた夫婦。

その旦那さんは力強く
『不便が好き』とおっしゃってて、

猪肉でBBQをする
山の近くに住んでる人たちとか、

集落で周りみんな死んじゃって
その限界集落
その夫婦しか住んでないのに
趣味を楽しんでる夫婦。

死ぬ前に自分の住んでた山を
綺麗にしよう、と植苗を始めて
素敵な桜街道をつくって
余命半年だったのに
すっかり元気になったおじいちゃん。

家を買ってくれた人たちと共に
素敵な空間をシェアできる
露天風呂まである理想の空間を
山の奥に1人でつくりあげた元社長。

その元社長は
70くらいになってから
趣味でパラグライダー始めて、

挑戦し続けることに対して
『リスクがおもしろい』
って笑ってた。

***

かっけえ。

すげえかっけえ。

最高じゃん。

人生ってほんとに
自由だなあって思った。

そんな夢なんて別に
すぐ叶えなくてもいいし、
っていうか
すぐ叶えれる物ってきっと少ないし、

彼らの中で夢として形にした人って
人脈やスキルをつみかさねたから、
あるいは人生をかけて
こつこつと準備して、

それを現実にさせた。

きっと彼らのなかには
『難しそう』
『現実的・効率的じゃない』
『リスクいっぱいじゃん』
とかそういうのじゃなくて、

『これがしたい』
『じゃあそのためにどうするの?』

ってビジョンに対して
無意識に逆算して行動してたり

ビジョンに対して
ただシンプルに純粋に
行動にうつしてたり、

私は思考も行動もままならないまま
短い人生でつくりあげた持論と
リスクに対する感情だけで

前に進むことを、
そして失敗することを怖がって
自分で勝手につくりあげた型に
囚われてるんだなあと痛感しました。

臆病すぎて、
ほんとにかっこ悪いし
とっても愚かで
惨めだなあと思う。

ちょっと意味合い違うけど
アリとキリギリスの
キリギリスみたいだなあって。
努力もしないのに
いろいろわかったつもりになってる。

ってことは、
このまんまだと後悔しそう。

今の私には
理想の生き方が多すぎて、
どれにも振りきれてなくて
とりあえず無難な道を、
って楽しようとしてる気がするから

もっともっときちんと
自分に向かい合ったり
経験を積み重ねたりして

自分の人生ってかものを
自分でデザインしてける人間に
なりたいなあ。

そしてビジョンが固まったときに
きちんとロジカルに逆算を
できる人間にならなきゃなあ、と
思ったりした22時でした。

中吊り広告

[電車で思ったことをただ綴ってみた]

 

電車の中の中吊り広告、
skytree DISCOの文字を見て、
ふと7年前のイギリスを思い出した。

 

いかにもdisco慣れしてなくて
リュックもパーカーも持ってきちゃって
浮きまくってるJapanese girl感のある、

当時の私。

 

回りはほとんどロシア人。

 

初めて海外という憧れが現実に変わり、
外国人との交流の面白さとか、
思いを上手く伝えられない寂しさとか、
でも翻訳してくれる人なんていないから
自力でどうにかしなくちゃいけなくて、

憧れは思ったより憧れじゃなくって、

香港の金持ち2人がわけわからんすぎて
カルチャーショックすぎて
アジアへの興味のきっかけになったりとか、

 

あれがなければ、、、

今の私はいないなぁと思った。
海外に飛び出す勇気もなかったろうし。

けどそれで考えると、全てそうだなあ。

最近感じるのは、
ひとつひとつの経験や学びが、
ほんとに積み重なって、絡まって、

今の私が織り成されてるということ。

ただ授業ひとつだってそう。
そんなにおもしろいと思ってなかった
授業の知識をもって海外に行き、
それを糧に気づきを得て、
帰ってきてからその気づきや経験を
土台に授業を受けると
全然受けたときの感覚が違って、
授業のスタンスも
知る→落とし込むに変わってる。

それがすんごいおもしろいなぁと思う。

だから今授業も日々の学びも
とってもとってもおもしろいし、
重ねなきゃ見えない世界だらけだな、と。

***

そういえばこのDISCO partyをきっかけに
クラブに興味もって、
セブで思いきってクラブに行って、
そのおかげで気づけた学びも実はあったし、
何よりクラブやEDMの魅力をしれた。

世界が広がった。

クラブにいきたくて、
東南アジアにいこうかと思い始めるくらい、
クラブ好き。
ゆって5回しかいったことないけど。

EDMなんてまだにわか中のにわかだけどね。

 

理由探し

 

私はいつも、
理由を求めていたのだなぁ。

 

そんなことを感じる、深夜3時。

 

 

理由は『好きだから』

 

って、そんなシンプルなもので良いのに


大義名分を求めては
がんじがらめになっていた。 

 

けど、ただ『好き』『やりたい』に、
将来を委ねていい時代になってきている。
そこに、論理だった理由はなくていい。


あったら周りに納得はしてもらいやすいけど
その程度、なのかな。

 

だから、
別に仕事にはしなくていいけど
自分の『好き』にもっと
素直になってほしいなあって思います。

 

素直になっていいよ、って。

 

『好き』なのに追いかけられなくて
どこかに置いてきた夢に
たらたらと未練を持ってたけれど、
やっと『好き』で、
やりたい!って思えるものに
また巡り会えたのは、

とてつもなく嬉しい。

 

それでも、やっぱり私は
自分の『やりたい』よりも、
世界を少しでも良くできることに
人生を使いたいと思ってしまうけれど。

 

ジレンマ。むずむず。

スタートライン

【私にとっての2017🐦】

 

昨年はどんな年だったのか。

 

私にとっての2017年は、
【やっとスタート地点に立った年🐣】でした。

 

 

2016年の12月か2017年の1月か
そこらへんでようやく、
「海外には住みたくない自分」を
見出してあげることができました。

 

私の掲げていた夢はずっと、
途上国支援や難民支援を
現地で行うことだったから、
それを認めるのはとても苦しかった。

 

『ただの逃げじゃん』

 

自分の感情に納得できなくて、
自分を納得させたくて
「この気持ちのまんまじゃ就活できない」
「きちんと目指したい会社や仕事を
 見つけるなんて無理や」
と、元々やりたくないと思っていた休学に
踏み切りました。

 

もともと学校の教師家系で
頭のいい人たちの中で育った私にとって、
偏差値が50ちょいしかないような
私立大学に入ったことは
とても気後れのすることで、

 

国際方面を目指していたことも
あまりよく思われていなさそうだな
と祖母や父と話していて時折感じるし、

 

だから留年なんて絶対しちゃだめだし
休学したらまた「出来損ない」の
レッテルを貼られるんじゃないかって


とても怖かった。

 

実際には彼らはそんなに
気にしていないのだろうなぁとは思うけれど
心の中に子供のときに植え付けられてきた
黒くてもやもやしたそれのせいで 
そんなくだらないことが
とても重くのしかかってきちゃって、

怖くて、怖くて、

 

けれどそれ以上に私の性質上、
納得しないと前に進めないし、
けじめだってつけないと振り払えないから、

 

休学に踏み切った。

 

「課金すれば、もういっかい遊べるドン」

 

とても面倒くさい人間だなあ、
と思うけれど、

 

自分を納得させるために休学して、
難民について今まで以上に勉強して、
実際に難民にも会って、
中東の難民キャンプにも行ってきました。

現地で支援してる人の話も聞き、


そしてけじめをつけることができました。

 

『私は日本で、私のつよみを生かして、
 幸せを掴めない人たちのために生きていく』 

 

休学中の予定もいろいろ変更したので
結構時間に余裕ができて、

 

はじめてちゃんと、
入ってたビジネススクール

コミットする月をつくって
たくさん学んで考えさせられたし

 

スペ語の単位が取れないという理由と
「やりたいことリスト」に中南米に行きたい
って書いてあったから、
メキシコに短期留学してみたのは
本当に結果オーライだったなぁって思ってて
たくさん失敗経験もしたし

 

私は周りに左右されやすい羊だから
タスクに追われなくて
Wi-Fiはたまにしか繋がらないし、
周りの人の頑張りも見ること・知ることの
できない1ヶ月を過ごしたことは、

 

ただただシンプルに、


自分と向かい合うことができる
良いきっかけになった。
(そしてそういう時間ってほんとに大切)

 

そうやって向かい合った結果
自分の心に素直になるために

 

夏休みは
「やりたいリストをやる期間にする!」
って決めて、
たくさん挑戦できた。

 

無人島で魚の杜付きも体験できたしね笑。

 

そっから後期、
学校はじまってバタバタしつつ、


10月はひたすら楽しんで自由に生きて、

 

11.12月は学びたいスキルのために
インターンにコミットしてみながら、

イベントを初めて主催して、
初めてボランティアのPTの

統括になって、って、
人の上に立つのが
スーパーストレスフルなのと
月に1回しか休みがないという
キャパオーバー加減で
半分くらいは病んで感受性死んでました笑。

 

たくさん人に迷惑かけたけど
(みなさん、ごめんなさい😫)

 

久しぶりにそういう経験したのも
気づきがたくさんあったので、
これも、これからに生かして、
「あのとき病んでたのも結果オーライや」
っていえればオールオッケーだと思うので
ちゃんと反省を次に生かしますね。

 

あと後半は
ビジョンプレゼンをきっかけに
たくさんの人に漠然としたビジョンを
話したお陰で
自分の中で漠然としたビジョン
(と言うか論理的な背景的な部分)が
まだ漠然とはしているけれど
納得できるものになってきました。

 

ここにきてようやく、 

 

「あ、これからが始まりや。
 やっとスタート地点に立てたな」

 

と実感しました。

 

よかった。

たくさんの人に感謝です。

 

けれど、
たとえば数学でも
「どうしてその公式が出来上がるのか」
という仕組みを解読したら
満足してしまう私なので、 

 

ここからが踏ん張りどころですね!

 

よーし。

 

ってことで、
これからもみなさん、
よろしくお願いします🐼

 


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happyになるための知恵

 

宗教に対する偏見が多い日本。

 

とってももったいないなぁ、

と思ったので

4年間宗教を勉強してきた私の考えを

バーーーーーって書いてみました。

 

長いけど、ぜひ暇な時に一読ください🐼

 

*****************

 

多くの日本人は、

「宗教」という言葉を嫌う。

それをとても

危険なもののように扱う。

 

けど、

 

『幸せになる』ために生まれたのが宗教。

 

『人を幸せにする』ために

                    存在してるのが、宗教。

 

たしかにかつて日本では

地下鉄サリン事件のように

宗教団体を称する団体によって

多くの被害者が出た。

 

今も、ISISが

さまざまな事件を起こしている。

多くの人が、殺されたりしている。

 

〖 では、彼らは悪なのか? 〗

 

***

 

地下鉄サリン事件を起こした

オウム真理教」は、

古代ヨガ、ヒンズー教諸派大乗仏教

背景とした教義をひろめ、

儀式行事をおこない、信徒を教化育成し、

すべての生き物を輪廻の苦しみから

救済することを最終目標としている。

 

そしてその信仰者の多くは、

バブルの時代に違和感を感じ、

世の中に馴染めなかった

マイノリティーたちだ。

 

オウム真理教は、彼らの心を救った。

 

その証拠に、出家者は1700人、

当時日本には1万人、

実はロシアには35000人もの信者がいた。

 

けれど教祖や

彼を囲む幹部たちが、

人の欲望に負けてしまった、それが

あんな悲劇を起こしてしまったのかな、

 

って

 

それが、

ドキュメンタリーとか見てたり、

実際にオウム真理教の残留の

宗教団体に所属してた人の話を

きいたりしていて、

 

思うこと。

 

***

 

宗教は人を幸せにするために

存在しているけれど、

信仰するのは人だ。

伝えるのも人。

 

弱くて脆い、人間だ。

 

***

 

私は大学で

「宗教学」のゼミにも所属したり、

授業では神道儒教、仏教、

イスラム教について勉強したし、

 

インドから講演会に来た僧に

ヒンドゥー教の教えについても

お話を伺ったりしてきた。

 

さらに

フィリピンやメキシコでは

実際にキリスト教を信仰する人の考えに

間近で触れる機会もあった。

 

その結果、生まれたのは、

 

『宗教信仰したら、happyじゃん!』

『めっちゃ幸福度あがりそう!』

『信仰ってすごい』

『私も信者になりたい!』

 

そんな、ポジティブな感情。

 

だから私は

宗教自体は善か悪かと問われれば

「善」だと思う。

 

だって、

人をhappyにしようとしてる。

 

生きるって

マニュアルなんてないし、

みんな不安で不安で仕方がないから

そんな人たちが

前を向いて生きていけるように、

 

「これをしてれば来世は幸せになるよ」

「良い行いをすると救われるよ」

「自分の弱さに勝てば、

     悩みなんてなくなるよ」

 

っていう

一種のマニュアルみたいなものを

提示してるのが

宗教なんだと思うんです。

 

***

 

じゃあなんで宗教によって

犯罪が起きるかっていうと

 

〇教えがどんなによくても、

    信仰するのも、

    解釈し教えを広めるのもただの人間。

 

    どうしても解釈に差が出てきちゃうし、

    勝手な解釈を広めちゃう人もいる。

    信仰する人が善人だけとは限らない。

   (全ての人間の中に

    善と悪(※下記参照)があるからね)

 

あるいは、

 

〇その教えを尊重しすぎて

    「みんな信じるべき!!!!」

    「信じてないのもったいない!」

    っていう思いが強くなりすぎて

     強制的な手段で伝えようとしまったり、

     信じてない人を批判・非難してしまう。

 

っていうことなんだと思う。

 

これを読んでるあなたも、

好きなアイドルグループの推しメンに対して

「いや私は好きじゃない」

「この人の方が絶対かっこいい」

って言われたら、

 

魅力をつたえようとするか、

むきゃー!ってなって、

相手を否定・非難してしまうと思う。

 

それと似ている感覚だと

思ってもらえればいいんじゃないかな。

 

***

 

何が言いたいかって言うと、

信仰だけで線引きしないでほしいし、

宗教ってだけで

悪いものだと思わないで欲しい。

 

信仰している人も宗教の教え自体も、

とっても素敵なものが多いし、

私たちが参考にできる考えも、

とってもいっぱいある!!!

 

結局宗教って、

先人から受け継がれてきた知恵!

 

happyに生きるための知恵なんです!

 

***

 

以上、私の考えでした。

 

 

※善と悪、と書きましたが、

善とは見返りを求めない愛や

誰かの喜びのためこの行動や思いで、

悪とは他者をマイナスな意味で巻き込むような

自己中心的な欲求に 

打ち負ける弱さのことだと思っています。

夢も、勇気も、

ある友人の心の広さに、

自分の器の小ささに、

 

泣いてしまった帰り道。

 

むかつくけど、

私のなりたかった姿を

具現化したような、

尊敬と憧れの存在の、彼。

 

どうしたら彼のような

本質的な行動ができるのだろう。

ほんとうにむかつく。

 

むかつくのは、悔しいから。

 

自分が不甲斐ないから。

 

かなわないから、だ。

 

****

 

私はいつだって

弱くて弱くて勇気のない自分を

ほんとうはなんにもできない自分を

知られるのが怖くて

失望されるのが本当に怖くて

怖くて、怖くて、

 

強がって生きてる。

 

虎の威を借る狐、

 

になろうとしてる。

…なれてないけどさ。

 

だからそれっぽいことして

せめて自尊心をもてる自分でいようと

「自分悪くないじゃん」

「むしろいいじゃん 」

そう思えるように

取り繕うので精一杯。

 

取り繕って、

なんか自分ができる人に

ちょっとだけなれた気がして

でも現実は違うから

とてもとても悲しい気持ちになる。

 

どうにかして

自分の生きてく価値をつくりたい。

 

けど自分を幸せにするので精一杯。

 

****

 

今さっき、

夢を叶えた人のブログを読んだ。

 

そういう前向きなものを見た時に

ワクワクするんじゃなくって

後ろめたくなる自分がいる。

 

彼は夢を追えたのか、強いなあ。

 

夢を追う勇気がある彼が

羨ましいとかじゃなくって

別世界の人に思えてしまう。

 

なんかこんな感じのこと

前にも書いた気がするなあ。

 

けど、夢を追う勇気がない自分が

とてつもなく嫌で

でも今だって勇気がない。

 

夢が欲しい、というのも

笑っちゃうくらい、

駄々っ子みたいな主張。

前に進もうとして、

後ずさりしてる気しかしない。

 

1歩ずつ地道に歩んでいこう、

と言われてもどこに進めばいいのか。

何をどう頑張ればいいの?

と今日もマニュアルをほしがる。

 

なんで自分が足踏みしてるのか、

自己分析してみても

よくわからない。

 

****

 

ふと思えば

物心ついた頃から、

「変わった子だね」と言われてた。

 

今になって振り返ってみても

別に対して変わってたわけでは

なくって、

男の子の遊びが好きな女の子って

それくらいだったし、

 

他の子と違う行動をしてたのは

認められたかったというのも大きい。

 

その結果、怒られて否定された。

幼稚園とか小学校低学年の話。

高学年になった頃には、

目立つ勇気すらなかった。

 

やりたいことをやる、というのは

わたしにとって否定される行為だった。

 

けどそれは過去の話、

今は違う。

そう頭ではわかっているのに、なあ。

 

****

 

とはいえ、

そうやって自分ばかり見ないで、

 

もっと他人本位になって

そのに目を向けてけば

価値を与えることを注力してみたら

いいんだろうな、とも思う。

 

そうやってぐるぐるしてるのは

いつまでも自分に目を向けてるから。

 

けど理屈だけじゃ

なかなか感情を動かせない。

思考と行動を変えるしかない。

 

うーん。

 

生きるって難しいなぁ。

夢も勇気も、愛さえも、

持ちたくってもなかなか持てない。

 

それでも私の人生は続いてくし、

立ち止まろうとしても

立ち止まらせてはくれないから、

 

なあ。

 

ゆらり、ゆらりと帰り道。

ゆらりゆらりと揺らされすぎて、

ひとつ先の駅で目を覚ます。

 

(また、やっちゃった…)

 

けれど今日はその行為に

あまり後悔をしていない。

どこか清々しいような気持ち。

 

コンビニエンスストア

アイスバーを買って、

軽やかな足取りで家路についた。

 

ちら、ほら、

 

寝過ごし仲間を横目に見ながら

 

冷たい帰り道の冷たいアイスは

とても最高だと思うのに

共感をしてくれる人は

指折りで数えられてしまう。

 

***

 

耳から流れる音楽に

踊りたいような気持ち。

 

ため息から、歌詞が零れる。

 

手の甲を、頬を、耳朶を、

ひんやりとした風が撫でていく。

ほぉっと息を吐くと、

白く染まって消えた。

 

鼻から息を吸うを、

静かに冷たい空気が

通っていくのがわかる。

 

公園の奥を、

静かに無人の電車が滑っていくのが、

美しい、と感じた。

 

そして目を天に向けると、

群青色の空が世界を包んでて、

足元では街灯に翻弄された影が

追い抜いては追いかけてくる。

 

…まるで、遊んでるみたい。

 

***

 

街灯の下で立ち止まり、

目を瞑ると、

暗闇と静寂に包まれ

私しかいない世界。

 

…ではない。

 

寂しがり屋の音たちが

私にいたずらに声をかけては、

孤独を邪魔しに来る。

 

通りかかった川のそばに腰掛け

流水の音に身を任せると

不思議で偉大な何かに

包まれているかのような気持ち。

 

きっとこれは、

日本人が古来から崇める[神]とかいう、

それかもしれない。

 

ふと、洪水が襲いかかってくる音に

慌てて目を開けると、

通り過ぎていくタクシー。

タクシーの走る音がこんなにも

恐ろしい音に聞こえるとは

思いもしなかった。 

 

深夜の、新しい発見。

 

発見は、たのしい。

 

補修でもしているのか、

小さい頃からあるマンションが

足組に覆われ、なんとも

現代アートみたいになってたり、

 

少し歩くと目の前には

陽気なおばちゃんやお兄さん。

少し先の居酒屋から出てきたようで

黄色いタクシーに

別の兄ちゃんを詰め込んでる。

 

「もう1回戻ってきてちょうだい」

「全然いいですよ」

 

とりとめもない、

けれどどこかほっこりする会話を

タクシーの運転手と交わしている。

 

開けっぱなしの引き戸から

お店の中を覗き込むと、

まだまだ5,6人のお客さん。

 

常連さんかな、

 

カウンターしかなくて

少し小汚い店内。

おしくらまんじゅうのような

押し込まれたイスたち。

 

そのまんま店内に

吸い寄せられたくなってしまうのを

後ろ髪引かれる思いで通り過ぎ、

(今度来よう)と決心。

 

いつか私も大きくなったら

どこかの小さな居酒屋の常連になって

カウンターで店主や客と

笑い合うのだ、と思う。

 

***

 

落ち葉は風にたたき起こされて

妖精のように走ってく。

 

なびく木々は、

やはり少し恐ろしく厳か。

自然は、本当に尊大。

 

恐ろしくて、美しくて、尊大。

 

そして、そう感じられる私は

幸せだなあ、と思う。

五感で、生きることを感じれている。

それはとても尊いこと。

 

***

 

そうしているうちに、家に着く。

 

そんなある日の、帰り道。