山羊に憧れたヒツジ

なんかもっと、日常を楽しんだらいいじゃん。

黒い住人。

こんな夜には、

少し心がザワザワする夜には、

 

なんで生きてるんだろうとか、

生きたくないとか、

誰も信じられないとか、

 

行動出来てないと、

不安なことがあると、

ネガティブな感情が

ここぞとばかりに私を乗っ取ろうとする。

 

私の心の奥の方に住み着いて、

機会をうかがってるんだなぁ。

 

そんなときに出てくるのは、 

幼稚園のとき先生に

自分の考え方を理解してもらえなくて、

というか鼻から言い分きいてもらえなくて

「お友達に譲ってあげなさい」精神で、

頭ごなしに怒られて、

自分の存在を否定されたようで、

ひどく悲しくなって

「私なんていない方がいいのかな」

「私の考え方は変なのかな?」

ってはじめて感じた休み時間の記憶と、

 

小学校のとき本気で自殺を悩んだあの夜。

 

自殺を悩んで、

死に方は飛び降りることしか

思いつかなかったけど、

自分が死んだあとのことを考えた。

たぶん悲しんでくれる友達は1人いたし、

1人しかいなかったけど、

その代わり両親がきっと

たくさん泣くんだろうなって思った。

それを思ったら、私まで泣けてきて

 

全然支えてもらえないし、

頑張っても褒めてもくれないし、

冗談通じないし、めんどくさいし、

価値観違いすぎて少し苦手だけど、

本音だって言えないけど、

それでもやっぱり、 

 

それでもやっぱり、

私は愛されてるんだろうなぁって、

親のことを考えたら

死ねなくなるくらいには、

きちんと愛されてたんだなぁって感じた。

 

だから、今生きてる。

 

生きてる、けど、

 

やっぱり生きてるのはしんどい。

しんどいことの方が多い。

 

今まで恋人が出来たこととかないけど、

それってつまり

誰の特別にもなれてなくて、

極端な話、友達が私と恋人の

二者択一を迫られたら

きっとみんな離れていく。

 

最後は結局1人ぼっち。

 

だからなんだっていうんだって

思うけれど、

そんな些細なことが私を

とても不安にさせる。

 

そんなことにばかり不安になって、

私自身がきちんと人を愛せてないから

結局誰も愛してはくれない。

 

愛してもらえる人は、

愛せる人で、

愛せる人はきっと、

愛してもらってきた人なんだろうな

って愚かな嫉妬をする。

 

けれどきっと私が死んでも

「ちょっと悲しい」って

一時的に誰かの胸を痛めて、

でも誰の生活も変えず、

 

そして生きててもきっと

誰にも必要とされず、

いたらいたで嬉しいけど位には

思われることはあっても、

結局、求められることは

必要とされることは、

ないんだろう、なぁって

 

小さい頃から

お母さんと対立するとお父さんに怒られて、

理屈を説明しても

「もしお母さんが間違ってたとしても

お父さんが一番愛してるのは

お母さんだから

そのお母さんに歯向かうのは許さない」

と誰も言い分なんて聞いてもらえなかった。

 

お父さんと意見が対立しても、

「お父さんが我が家のルールだから

意見を通すのは諦めなさい」

とお母さんにさとされて、

 

どんなにがんばっても

お兄ちゃんの次、だったし、

 

味方はずっとペットだけで、

 

私の声は誰にも届かなかった。

努力は、「当たり前」と流された。

 

そんな存在に意味なんてあるのかって、

この22年間、自問自答、

ずっと心の穴を埋めたくて、

いてもいなくても変わらなくて、

だからせめて生きてる意味をつくりたくて、

社会とかに良いことをしようって、

夢の理由に関してはそれだけじゃないけど、

 

けどせめて、

自分の存在をプラスにしたくて

 

だけどもし誰かにとっての

大切な存在になれていたとしても、

今の私はズタズタで

人の言葉なんて信じられないから

 

「どうせ私みたいな何もなくて

何もできなくて、すぐに頼りたがるし、

ネガティブでメンヘラで、

黒いドロドロとした生き物が

心の中に住み着いてる私なんか

誰も好きになるはずがないって、

どうせ嫌いになるんだ」

 

って

 

思いたくないけれど、

思ってしまう自分を

いつまでも追い出せなくて、

 

10年くらい追い出そうと必死に

ジタバタもがいてるはずなのに、

全く前に進めてなくて、

 

あの頃の爪を噛んで下ばかり見て

自分の殻に綴じ込もって漫画書いてた

幼い私となーんにも変わらなくて

 

誰も信じられないから、

 

それじゃあきっと

変われないし、変わらない。

生きるのが、ずっとしんどいだけ。

前に進みたいのになぁ。

 

頑張れって言われるけど

ほんとに、

何を頑張ればいいんだろうな。

 

それでも生きてかなきゃいけない、って 

ほんとに誰が決めたんだろか。

 

ただ自分のモットーとして、

生きるために食べるためと、

命を守るための自己防衛のため、

以外では命を奪わないって決めたから、

自分を殺すことはそのモットーに

反することになるし、

 

誰かを悲しませるのも

やはり自分の信念に反するから

今はまだ死ねないんだよ、

 

だって、せめて、

誰にも求められず、

誰にも認められずとも、

最低限自分自身には見切りをつけられず、

自分が納得できる自分でいたいじゃん。

そのプライドはきっと

捨てちゃいけないと思うから、

 

しんどい夜はとりあえず

現実から目を背けて寝ようと思います。

 

おやすみなさい。

 

空間づくり


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『空間づくり』と言うと、
よく「インテリア?」と聞かれます。

 

たしかに、内装も大切。

 

だけれど、
そこにいる人の服装とか、
誰がいるのか、どんな気分の人がいるのか、
出てくる食べ物、そこに使われる食器とか、
照明の明るさ、BGM、外の天気、
その1つ1つがその空間を作りあげます。

 

例えば、
おそろっちコーデでディズニーいくと
テンションあがるでしょ?


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でも雨で寒かったりすると、
ちょっとテンション下がるでしょ?

 

そういう要素って、
「そこまで大切じゃない」
「そこまでやるのはめんどくさい」
と思われがちで
なかなか理解をしてもらえないけど、

私はそういうのも含めて空間をつくりたい。

 

宅飲みするときも、
ポテチやチータラもお皿に移したいし、
お酒も缶じゃなくて
その場にあうグラスに入れたい。

 

ライブは演奏だけじゃなくて
MCの言い回しや衣装も気にしたい。

 

何故ならそれが、
私がとてもわくわくできる空間づくりだし、
つくる過程はめんどくさいかもしれないけど、
そういう空間って
きっとみんなをワクワクさせてくれる。

 

そうやってワクワクできる空間が、
日常にも非日常にもたくさん転がってたら
とっても素敵だなぁって思うでしょ?


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ちなみにこの写真は

私がスーパー憧れてる部屋。

将来自分の部屋はこんなかんじにしたい。

 

ゴミマンチュリアン

ゴミマンチュリアンが正解なのか、

モミマンチュリアンが正解なのかという議論に

決着をつけないまんま、

日本という国に帰ってきてしまいましたが、

私は、前者が正解だと思っています。

 

なんの呪文?と思ったでしょうが、

それの正体はなんと、カリフラワーです。

 

さて、久しぶりに行ったインドのボランティアから帰還しました。

皆さんお久しぶりです、まみっこです。


臭くて混濁した空気、
鳴り止まないクラクションに路上で寝る野犬。
ふと見れば道を横切っていく牛に、4人乗りのバイク。

 

少し郊外にいけば猿がむしゃむしゃしながらこちらを伺い、
大自然が生の喜びを感じさせてくれた国。

 

それが私にとっての、インド。

 

『生きてるって、素晴らしい。』

 

大袈裟じゃなくって、
そんな事を心から思ってしまう日が来るなんて思ってもみなかった。
自分のなかにそんな満ち足りた感情が流れるなんて思いもよらなかった。


子供たちはとても人懐こくて、かと思えば、
おじさんもおばさんも人懐こくて、
キラキラした笑顔で話しかけてくる。

一方で出稼ぎの子供たちは挨拶や笑い方すら知らなくて、
インドの悲しい側面も垣間見ることが出来た。

 

『また来たい。』

 

海外にきてそう感じたのは、始めてでした。

それが3年前のインドとの出会い。


***

 

大学生になって、

途上国を実際に見るためにボランティア団体に入って、

インドにいったりカンボジアいったり、

東北や岡山にもボランティアでいってみたり、

 

そんなかんじであっという間に月日は流れてて
いつの間にか学生ボランティア団体を

卒業する時期がやって来ました。

 

ボランティアの活動自体は

正直そんなには参加してこなかったけれど、
1年生の時のインドでの活動は私にとって国際協力の道に進むための第一歩目で、

たくさんモヤモヤして、たくさんぶつかって、泣いて、
その後も途上国に行くための勇気をくれました。

 

このインドでの活動をきっかけに、
途上国や貧しい地域に実際に足を運び続け、
国際協力について4年間考えてきました。

 

『あの活動がなければ、今の私はここにいない。』

 

そう本気で思えたから、

ラストのボランティアはやっぱりインドに行こう。
そう決めていました。

 

***

久しぶりに来たインドは
相変わらず噎せ返るような香りと、濁った空気が出迎えてくれて、
路上で寝る野犬がかわいくて、

顔の怖いおじさんが街灯でオレンジ色に照らされていました。

 

いつの間にか自分がアジアに慣れてしまっていたのか
始めて来た後輩たちがたくさん驚いているのを見て
「日本人ってそこにおどろくのか」と、驚いてしまいました。

 

少し寂しいことに、

衝撃を受けることは減ってきたけれど、
日本人がどこに着目するのかという、
自分にとっては新しい視点でインドに触れることができました。

 

***

【伝えることと巻き込むことの大切さ】


今回の活動で一番身に染みて感じたのは、
伝えること、巻き込んでくことの大切さです。

当たり前のことだけど、とても難しいことだなぁって思います。

例えば、

 

今回の活動内容は
綺麗な水を手に入れるのが大変な地域に
Water filter、つまり水の濾過装置の設置でしたが、

私としては、

『なんか、よくわからない外国人が黙々と作業して設置していった』より、
『フレンドリーな日本の学生が私たちのために一生懸命つくっていってくれた』の方が、

現地の方の印象もいいし、


「じゃあ使おう」「大事に使い続けよう」という気持ちを持てて、
長い目でみたらその場での作業の時間を最短にすることよりも
ある程度の交流はした方が価値を産み出す、と考えてます。

 

実際、一昨年訪れた家の人はどんなに家族が増えて家が狭くなっても、
「アンマ(インドのスピリチュアルリーダー)が私たちのために作ってくださった家なのでずっと住みたい」
とおっしゃってる人々を目にした。

 

だから、交流に注力した。話しかけるようにした。

 

結果、『作業中に交流してる』『作業の士気を下げるのでやめてほしい』と言われてしまった。

 

なぜか???

 

それは

・国際協力をやって来た人と、ボランティア作業をやってきた人の視点や立場の違い。
・どういう思いでの行動かを伝えなかった。

・個人プレーになってて、自分の思いに人を巻き込まなかった。

→さらに、「他の人が作業に重点を置いてるので自分は交流会に重点を置こう」と途中から交流の比重をあげてしまった。

・休憩が各自だったため、作業と休憩の境目が他の人からは見えにくくなっていた。
→過去のインドの活動では休憩での交流と作業がきちんとわけられる作業内容だった。

・そもそも手透きの時間が多く、自分のなかでも作業と休憩の境目が曖昧になっているときがあった。

 

その結果、
作業に重きを置いてる人にとっては
「作業中にさぼって交流してる人」にしか見えないような状況を
自分で作り出してしまったのだと思います。

 

作業も交流もどちらもとても大切。

 

だからこそ、
「この人はこういう思い・価値観をもってる」「この人はこれが得意だから任せよう」
といったように相互理解を深めて役割分担などをしていくべきだし、

そのためにどんどん自分の考えの提示や、
全体の在り方の提案を声に出していくべきだと痛感されられてしまいました。 

 

もしこれを読んでくれてる人の中にも
「団体行動って苦手や」「つい個人プレーしちゃう」って人がいたら

まずは隣の人に
『どうして自分がこれをしてるのか』
をシェアしてみるとこから始めていってほしいです!!

 

最初は大きな声なんか出せないから、
小さい声でも、思いを外に出すことが第一歩になるし、

その思いに共感して動く人が1人増えたら、その影響って倍になる!!すごい!!

 

***

また今回感じたのは、

インドの活動の目的として、

「経済的貧困者への支援活動を通して、インドの文化・人と向き合い、インドと日本の架け橋になる」というのを掲げているのですが、

『未来の架け橋とは具体的には、どのようなことが求められているのだろう』

ということです。

 

未来の架け橋になる上での関係性の築き方に
具体性が無いように感じています。

ゴールが、ざっくばらんとしてしまっているのではないかな?と。


だから、これは先ほどの問題点にも繋がるのですが、

どう動くべきだと感じるのかも個人差が生じてしまうのでは?というのが私の見解。


今回の隊の目的は今回だけでなく、今後も含めたインドの活動全体としての目的。

ならば、もっと長期的にインド隊のフェーズを組んで動いていけたら、よりインドの未来のために出来ることも増えるのではないかな?
とか思ってみたり、

 

あるいは、
今回交流したインド人学生の多くは、将来技術者になりたいという人が多かったのですが、

じゃあともに仕事をできる仲間になるために
日本人側がどのような価値を提供できるのか?、
自分達にマンパワー以外で何をできるのか?をわかっていない学生が多いなと感じました。


現地での企画で、一緒に大きな布に夢を書くというものがあったけれど、日本人の書いたものを見るとSmileとかhappyとかたしかに理想の未来の形ではあるけれど「お互いの思いを語り合う」には少し遠いのかな?と感じてしまう機会もあって、

 

だから事前準備として、
まず自分自身について知ることだったり、
それを知った上で伝えられる英語力をもつ、
というのが架け橋になるには、より大切なのかな?と感じてみたりしていました。

 

***

そんなこんなで、
今回の活動は、私史上今まででいちばん
考えさせられるものだったな、と感じています。

 

私にとってインドでのボランティアは
純粋な国際協力というよりは国際協力に関心をもってもらうきっかけであり、モヤモヤして帰ってもらいたいものなので、
そういう意味ではスーパーモヤモヤ出来る活動だったかな?と思います。

 

私自身、ラストなのに全然スッキリできずに帰ってきました!

 

あとは、カレーのみならずいろんなインド料理が食べられたし(特に今年はおいしかった!!)、
チャイもいっぱい飲めたし、寝台列車ものれたし、交流もできたし、今年も楽しい活動でした。

 

やっぱり、インドが好きです。大好きです。

 

でもそんなインドに行けるのは、安全にインド隊を終えて帰ってこれるのは当たり前じゃないので、支えてくれたみんなに感謝しなきゃなぁ、と、
4年生になって今まで以上に身に染みて感じてます。

 

そんな、2週間。


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幸せなんて、そんなもん

たまらなく、

いとおしいものが多すぎる。

 

 

例えば昨日。

 

朝から大好きな友人と

ピクニックするための

ランチのパンやスープを買うために

お店をめぐって、

 

なんか、

ふつうにお店にはいるより

買っちゃって、

 

ちょっとリッチな

クロワッサンを買っちゃったりして、

 

なのに公園は閉園日で、

 

結局高校生のときから

お気に入りでたまにいく屋上庭園で

のんびりする昼下がり。

 

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通りすがりの小鳥に

パンくずをあげて癒されて、

 

関西にすむ共通の友人に

急遽電話をして30分以上話し込んで、

それで体を冷やしちゃったり。

 


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午後のインターンでは

なんか上手くいかなくて、

隣の彼女にとても劣等感をもって、

 

自分の存在をとても泣きたくなった。

 

そんなときに

バイト先の人からお誘いのLINEがとどいて、

会いたいと友人にいってもらえて、

 

一緒に飲んで、

 
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それだけで生きてる意味、

っていうか

それこそ、が生きてる意味で。

 

そのあと私が飲んでるという

ツイートを見た大好きな先輩が

「会いたい気分だから」

と来てくれて、

 

そのまんまその人のシェアハウスに泊まって

そこでまた好きな人たちと

少しだけどお話しできて。

 

可愛いチョコレートまでくれた。


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そして今日。

 

尊敬できる人たちと働いて、

 

昨日上手くいかなかった分なのかな、

ひょんなことが上手くいって誉められて、

 

そのあと

好きな人たちとふらりと飲んで、

 

安くてガチャガチャした

味気のないチェーンじゃなくて

安くても素敵なお店で嬉しい気持ちになって、

 

インターン先の社員に

はじめて自分の想いや夢の片鱗を語った。

 

彼らもそれぞれの思いをもってて、

 

今まで感じていた心の距離が

すこーしだけ近くなったり、

あん肝の食べ方をご教授いただいたりした。

 

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帰り道に一日を噛み締めながら

好きな音楽を聴く時間が、

 

泣きたくなるくらい幸せ。

 

別に特別なことがあったかと言えば、

大したことはない日常。

私には大した日常。

 

毎日なんてそんなもんで、

 

だからほんとにいとおしい。

 

本当に楽しいし、

そりゃあもちろん

大変だったり泣いちゃうことも、

病んじゃうことも当たり前にあるけど、

だから幸せを感じられるし、

 

特別なことはない特別な日々を

生きてる私はとても特別で、

 

恵まれてるとかじゃなくて、

結局全ては繋がりから生まれるから、

ありがとうしかないし、

 

や、ありがとう。ほんとに。

 

私たちの毎日なんて、そんなもん。

そんなもんだから、

ムカつくくらい素晴らしい。

白黒つけられるように育った私たち

「白黒つけるように育てられたけど…」

価値観の違いで相手を
否定してしまうのは
無知と、育った環境によるものだと思う。

肩書きの前に、
1人の人として対話をすれば
お互いのことを理解しあえば
必ずわかりあえる、と私は思います。

昨日、今まで「苦手かも…」と思ってた
中国人の友人と話をしてて、
仲良くなって、
私が勝手に「外国人」と距離を
おいてしまってただけだったことに
気づきました。

たいていのことは、そんなもん。

 

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2398069700418423&id=1979277325630998

 

とてもよいCMだったので
ぜひ見てみてください。

 

縛られたくない人ほど縛られてない?

私の周りの
フリーランスや起業志望の人のなかには、

「就活がしたくない」という人がいます。

彼らの言い分だと、
社会のレールにのって
流されるのが嫌なのだ、と。

この間も、
スキルや信頼がまだないのは
わかっているけれど、
バイトで稼ぐのは嫌なのだ、
面白くない、
という人がいました。

バイトとか、就活とか、
そういう【一般的】と括られることを
するのが嫌、なのでしょう。


確かに、その気持ちはわかります。

私もそんな理由から、
就活に抵抗があった時期もありました。

***

けど、
「縛られたくない」という人ほど、
自分の中のイメージに
縛られているのでは???

と感じることが多々あります。

 

信頼とスキルが足りないなら、
それを身に付けるまで
バイトで生き延びるのはひとつの手だし、

それこそ、
信頼やスキルを身につける手段として
バイトやインターン、就職を
使えばいいじゃん、

と思うわけです。

結局、フリーランスも起業も、
就職もバイトもインターンも、
全部全部、手段のひとつでしかない。

つまらない、とか、
レールの上に乗りたくない、とか、
そんなのは感情でしかなくて、

じゃあ自分が叶えたい目標のために
どの手段を使うのがいい?
ってだけのハナシ。

***

特に、すべての会社は
誰かの起業から、
はじまってるわけだから

就職もバイトも、
起業の先輩から学べる場。

1人でやるより
先人の知恵を借りるというのは
効率が良い気がします。

こうやって
価値をお金にしてるのか、とか、
こういう手段もあるんだとか、

自分の与えたい価値が
明確な人ほど、
会社というのはどんどん知恵を盗めるし
学べるし、視野広がるし、
楽しい寺子屋なわけですよ。

別に私は就職が正解、
と推進はしません。
それ以前に、したことないですし。

就職、フリーランス、起業、って、
無限にあるやり方に対して、
そんな言葉で括って
判断するのはナンセンスだなと
思う今日この頃です。

どんな生き方、する?

【どんな生き方、する?】
【ぽつんと一軒家見てました】

ご飯食べながら、
久しぶりにのんびりテレビを。
たまたま両親が見ていた
「ぽつんと一軒家」ってやつ。

ぽつんと一軒家、は
私は寂しくなっちゃうけれど、

山とかで暮らしたいなあ、
そういう選択もありやんな、
と思う今日の私です。

***

東京で育ったから、
東京もとっても好き!と思う反面、
都会でせかせか目標のために、
そして誰かのために
生きるんじゃなくって

田舎で農作物育てたり、
野生の動物を食べたり、
地域の人と支えあったりして、

『生きることを楽しむため』に
生きたいなあ、とは
小学校くらいから思っていて、

それこそ、映画化もした
漫画「リトルフォレスト」の生活は
とっーても憧れていて

ただ、
「都会ならではの
刺激がなくなったら
物足りなくなりそう…」とか

「今の生活に慣れてるしなあ」
「友達もみんな東京だしなあ」
「生活を変えるのは不安!」

というのもあって、
躊躇してる自分もいて

リスク思考だから、
そういう感情がけっこう
意思決定するときに勝りがち、
だったりもするのが今の私。

そんな中、この番組を見て、
『かっこいい』と思いました。

***

山で暮らそう!と決めて
兄弟の力をかけて7年かけて
素敵な家をたてた夫婦。

その旦那さんは力強く
『不便が好き』とおっしゃってて、

猪肉でBBQをする
山の近くに住んでる人たちとか、

集落で周りみんな死んじゃって
その限界集落
その夫婦しか住んでないのに
趣味を楽しんでる夫婦。

死ぬ前に自分の住んでた山を
綺麗にしよう、と植苗を始めて
素敵な桜街道をつくって
余命半年だったのに
すっかり元気になったおじいちゃん。

家を買ってくれた人たちと共に
素敵な空間をシェアできる
露天風呂まである理想の空間を
山の奥に1人でつくりあげた元社長。

その元社長は
70くらいになってから
趣味でパラグライダー始めて、

挑戦し続けることに対して
『リスクがおもしろい』
って笑ってた。

***

かっけえ。

すげえかっけえ。

最高じゃん。

人生ってほんとに
自由だなあって思った。

そんな夢なんて別に
すぐ叶えなくてもいいし、
っていうか
すぐ叶えれる物ってきっと少ないし、

彼らの中で夢として形にした人って
人脈やスキルをつみかさねたから、
あるいは人生をかけて
こつこつと準備して、

それを現実にさせた。

きっと彼らのなかには
『難しそう』
『現実的・効率的じゃない』
『リスクいっぱいじゃん』
とかそういうのじゃなくて、

『これがしたい』
『じゃあそのためにどうするの?』

ってビジョンに対して
無意識に逆算して行動してたり

ビジョンに対して
ただシンプルに純粋に
行動にうつしてたり、

私は思考も行動もままならないまま
短い人生でつくりあげた持論と
リスクに対する感情だけで

前に進むことを、
そして失敗することを怖がって
自分で勝手につくりあげた型に
囚われてるんだなあと痛感しました。

臆病すぎて、
ほんとにかっこ悪いし
とっても愚かで
惨めだなあと思う。

ちょっと意味合い違うけど
アリとキリギリスの
キリギリスみたいだなあって。
努力もしないのに
いろいろわかったつもりになってる。

ってことは、
このまんまだと後悔しそう。

今の私には
理想の生き方が多すぎて、
どれにも振りきれてなくて
とりあえず無難な道を、
って楽しようとしてる気がするから

もっともっときちんと
自分に向かい合ったり
経験を積み重ねたりして

自分の人生ってかものを
自分でデザインしてける人間に
なりたいなあ。

そしてビジョンが固まったときに
きちんとロジカルに逆算を
できる人間にならなきゃなあ、と
思ったりした22時でした。