山羊に憧れたヒツジ

なんかもっと、日常を楽しんだらいいじゃん。

eating is killing

動物を、自分の手で殺して

捌いて食べてみたい。

 

私は常々、そう思っています。

 

こんなことを言うと日本では

「もしてかして犯罪者予備軍?」

なんて思われてしまうかも知れません。

 

私がそれをしてみたいのは

快楽のためでは、もちろんありません。

 

「生きものをいただいている」

 

「生き物の命を頂いて、生きている」

 

ということをきちんと、

身をもって感じたいからです。

 

「殺す」

という会ったことも無い誰かに押し付けている、

「汚い」「残酷」と言われるようなことを自分の手で行い、それがどれだけ怖いことか、労力のいることかを知り、「生きる」「命を奪って生きる」ということに向かい合いたい。

 

今の自分が、これらのことに対して発言をしたところで、手を汚したことのない人の言綺麗事でしかありません。

(もっとも、生きるために殺す行為は「手を汚す」ような汚い行為ではないと思いますが。)

 

生き物を殺すことの「抵抗感」や「罪悪感」。

それは、慣れてしまうべきものではないと思う。

けれど同時に、避けるべきものではないと思っています。

 

野菜だってお肉だって、世の中のほぼ全ての食べ物は「命」をいただいてる。

それにもかかわらず、命ということから目を背けている人が多すぎると思う。特に、日本は。

 

「命をいただいている」という実感が生まれれば、それこそ、食料廃棄の問題も少しは改善されるのではないかな、と思います。

 

今、世界では、今の世界の人口が2倍になっても大丈夫なだけの穀物が生産されていると聞いたことがあります。

が、現状はどうでしょう?

 

飢餓や栄養失調で亡くなる子供が沢山います。

明日食べるものがなくて、困っている人たちがいます。

 

何故?

 

食べ物は十分にあるのに?

 

それは私たちが不必要に買い込み、家畜の餌になったり、過剰な食品が店頭に並べられ捨てられていくからです。

 

私は今、居酒屋でバイトしています。

お客さんたちは、平気でご飯を残していきます。そして、罪悪感さえもたず、笑って帰っていきます。

 

その瞬間、食べることが出来ずに死んでいく人がいるのに?

 

働いていて、どんなに混んでいても忙しくても、仕事で辛いと思ったことはないけれど、残されたごはんを捨てる瞬間はいつもとてつもなく辛いです。

 

だから、もっときちんと

「命を頂いている実感」をまずは自分があらためて知り、持ちたい。そして、広めていきたい。

 

食料廃棄を、なくしたい。

 

と、心から思います。

 

命の重みは、人も動物も同じなのだから。

 


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