とうめいなうた。

日常をキラキラに。みんながはっぴーな世界を愚直に夢見て、今日も生きてます。

海は燃えている

【海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~】

 

―――ぼくたちは生きている。悲劇のすぐそばで。

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今まで私が見てきた多くの映画は、

非日常を映していました。

 

とつぜん事件が起こった、体が入れ替わった、

息子が攫われた、もののけの呪いをもらった、、、

 

けれど、この映画は日常を映し出していた。

 

 

特別なことなんて、なにもない。

そこには、繰り返される毎日と、冷酷な現実と、

愛と、希望と、祈りがありました。

 

みなさんは「海は燃えている」をご存知でしょうか?

 

ベルリン国際映画祭でグランプリをとったり

アカデミー賞でも外国語映画賞イタリア代表に

選ばれている作品だそうです。

 

当時のイタリア首相のマッテオ・レンツィは、

EU首脳会談において、

「人々を数ではなく、一人ひとりの人間として描いている。

この映画を見たら違った世界の見方が出来るはず。」と、

DVDを全首脳に手渡したそうだ。

 

けれど、

私がこの作品を知ったきっかけは

難民が出てきているということ。

そして、勝手に難民の悲劇を描いた映画だと

勘違いして映画を見ました。

 

 

 

見終わった最初の感想は、

「あ、なるほど、これで終わりなんだ」でした。

特に、特別なことなんて何もない。アクシデントもない。

 

ただ、当たり前のように、海に出て海の恵みを得る。

ただ、当たり前のように、ラジオで音楽を流す。

当たり前のように、友人と遊び、

当たり前のように、家族で食卓をかこむ。

 

そして、当たり前のように、今日も海で難民が救出される。

 

当たり前には、なってはいけない現実が、

そこにはあるはずなのに、

それはとりわけ特別なことではない。

 

そして島民と難民の人生が大きく交わることもなく、

それぞれ生きていく。

 

「それだけ死体を見たら、そろそろ慣れるだろ?」

難民を診療し、亡くなった難民の死検をおこなう医者は

そう言われたそうだ。

もちろん、慣れることなんてない。

それは、当たり前にはなってはいけないし、

慣れてしまってよい現実ではない。

 

けれど実際には

それだけ、当たり前のように多くの人が

難民になり、海に逃げたことで死んでいる。

もちろん全員ではない。

生き延びた人も、多くいる。

 

逃げなかったら、死んでいたから、海に出た。

 

生きるために、命をかけた。

 

生きるために、命をかける。

矛盾のように見えて、

そうしなければ生きていけない現実が、

私たちの見えないところに溢れている。

やるせない。

 

 

日常茶飯事のように

世界で起きていることの多くは、

当たり前、とくくられてしまう、のかもしれない。

 

けれど、難民や、餓死、出産での死亡、

そんな多くの問題は、

絶対に当たり前にしてはいけないし、

同時にそれらの悲劇は日常の隣にいる。

 

だから、隠れてしまうし、

「そういうもの」「だから仕方がない」

とくくられてしまいがち、

 

なのかな、と。

 

 

 

ぜひ一度、この映画を見てみてほしいです。

 

そして、日常、というもの

そして、世界で起きている悲劇、というものを

考えてみてください。

 

感じることは、ひとりひとり違うと思いますが、

なにかぽっかりとしたものが

心にの残るのではないかなと思います。

 

 

では。