山羊に憧れたヒツジ

なんかもっと、日常を楽しんだらいいじゃん。

どうせダサいなら生きたらいい。

 

正直、

社会のせいで、他人のせいなら、

私は死なないよって思う。 

誰かのせいにしてるうちは、楽だもの。

 

もちろん、そういうふうに捉えた上で

自殺に踏み切る人もいる、とは思う。

ものさしは、人それぞれ。

 

私が自殺したいと思った時は、

 

『誰のせい』

 

とか、本当にどうでもよくて、

誰かの理不尽のせいかもしれないし、

自分のせいなのかもしれない、

 

ただ、ただただ辛い。

 

両親を悲しませたくないとか、

こんな弱い自分はダサいとか、

変なプライドとか、

 

そんな目に見えないもののせいで

苦痛をひとりで背負っちゃって

全てを投げ出したくなる。

痛みから、逃れたくなる。

 

私が死ななかったのは、

 

『自分が痛みから逃れること』より、

 

『自分の死で誰かを悲しませたくない』

『自殺したことで

   可哀想な子だと思われたくない』

 

そんな思い。

 

自分に死を考えさせたのも

自分を生きさせたのも

ちっぽけなプライドと、誰かの愛情。

そして、誰かへの愛情。

 

それらはほんとに、紙一重

 

だから私は自殺したい人には、

ちょっと捉え方を変えて欲しいなって思うし、

苦しみから逃げるのに

死ぬ以外の選択肢を

見つけて欲しいなって思う。

 

生きるのも死ぬのも、

どうせダサいんだから。

 

かっこ悪い死に方するなら、

もっと逃げていいから、

「かっこ悪く生きてこうぜ」って。

 

 

http://hirokimochizuki.hatenablog.com/entry/you.didnt.build.that

 

 

上のリンクを読んで、感じたこと、

 

というか、私の自殺に対する考えでした。