山羊に憧れたヒツジ

なんかもっと、日常を楽しんだらいいじゃん。

感情と理想や思想のギャップ

『途上国の人たちに何かしたい』

 

けれど、

具体的な行動が出来ず

具体的な解決策が出る前に

私の中にじわじわと広がる、

 

『海外に対する恐怖心』

 

『現地で働きたくない』

 

今までの経験から思うのは、

きっと私にとって、

海外で生活するというのは

パニックゾーンにはいる。

 

だから、それをしないという

選択をしようとしている。

 

けれど、

そこに納得してない自分もいる。

『直接的な支援がしたい』

『なぜ自分は恐怖心を越えられないのか』

 

***

 

 

『難民に対してなにかしたい』

 

けれど根本的な原因を

第三者が払拭することは

無理なんじゃないか、と

思えてしまっている自分がいる。

 

『けど、難民って日本にもいるじゃん』

 

ただ、

昨年度も1万人の申請者の中から

難民認定を受けたのはたしか38人。

シリア難民は1家族、のみ。

 

日本にある難民収容所では、

人権を迫害された扱いにより

実際に人が死んでいる。

 

申請してしばらくはホームレス生活。

そのあげく、強制送還される現状。

 

『限界を感じてしまった』

 

 

それはきっと、

支援団体に対して、日本の仕組みに対して、

日本人の「他人事」や「無関心」に対して、

そして、「自分自身」に対して。

 

***

 

だから私は、言い訳して逃げた。

 

自分のできる形で、

間接的にだけれど彼らにつなげよう、

そうやって自分を正当化してたけど、

本当は限界を感じたから

そこから目を背けたくて

直接彼らを支えることから

逃げたんじゃないのかな

 

…んだと思った。

 

それは選択なのか、逃げなのか。

今の私にはわからない。

 

***

 

ただ、

「難民に対してアプローチする」

と言っている友人に劣等感を抱き、

自分の選ばなかった選択肢に思いを馳せ、

 

足踏みしている自分がいる。

 

それはきっと納得出来ない証拠。

 

自分自身にも、自分の行動にも、

スキルにも、選択にも、

すべてに自信が持てない。

 

こんな私に、

なにか出来るんだろうか、と。

 

***

 

 

感情と理想や思想のギャップが、

ジレンマを生み出している。

 

机上の空論を並べては、

「無理だ」と決めつけて、

愚かな思想と言葉を並べてしまう。

 

けれど、じゃあ、

「思考しても動かなければ

   世界は何も変わらない」

 

行動をしないというのは、

知らない、無関心であるのと、

何ら変わらない。

 

どちらも、何も変えない。

 

思いと思考のある行動は、

人を動かし、仕組みを動かし、

そしていつか世界を少しだけ変える。

 

私は、変えたい。

 

思いには、世界を変える力がある。

 

ほんとにちっぽけかもしれないけど、

思いと行動が重なった時に、

少しだけ世界を変えられると

私は信じたいし、変えたい。

 

***

 

『逃げたんじゃなくて、

   自分の強みを生かすために

    間接的な手段を選んだんです』

 

『私のやっていることは、

    長い目で見た時に世界を良くします』

 

と、言えるようにするには、

 

きっと、「なんでなんで」と

過去ばっか振り返るのではなくって

 

具体的に行動するしかないし、

 

してみないとその行動が

自分にとってよかったのかなんて

絶対わかりっこない。

 

***

 

と思いつつも、

現地での直接的な支援に、

それに従事してる人たちに、

もっと純粋に世界を良くしようと

している人たちに、

 

負い目を感じてしまう。

 

のは、なんなのだろう。

成果やEvidenceがないから、

なのかな。

 

***

 

自分の中で

まだ折り合いが付けられてないので

これが全てじゃないけど、

今日話してて感じたこと。

 

でした。