山羊に憧れたヒツジ

なんかもっと、日常を楽しんだらいいじゃん。

躓いたら、思いに立ち返る。

最近の私は、

自分のすすむ方向に迷走してて、

前に進まないどころから、

足踏みしていたのかすらわからない、

そんな日々が続いていました。

 

自己理念【日常にキラキラを】

 

ひどく抽象的な理念ですが、

私はずっと、『日常』を

キーワードにしてきました。

 

けれど、じゃあ、

なぜそこにたどり着いたのか。

それを、ずっと忘れていました。

思いを、置き去りにしていました。

 

***

 

気づいた時には、

「理不尽で生きられない

    途上国の彼らに何かしたい」

と思っていました。

 

なぜ?

 

きっとそれは、

「困っている人がいたら助けたい」

と思うごく当たり前の感情から

来てるのではないかな、と

私は思っています。

 

あるいは、

自分を囲んできた理不尽に対し

こういう思いをする人を

増やしたくないという思いも

あるかもしれません。

 

そして、夢を探す途中で

テレビで「難民」という存在を知り、

そこにフォーカスを当て始めました。

 

***

 

大学に入ってから、

「まず途上国というものを見てみよう」

という単純な思考回路によって

途上国や貧しい地域を

ボランティアやスタディツアーを通して

訪れるようになりました。

 

***

 

初めて行ったインドの

貧困を抱えた山村で見た、児童労働。

 

しかし、同時に、

その村の多くの子供たちは

貧しい村でも綺麗な水色の制服を着て、

学校に通っています。

 

(やはり貧しい村の中でも

  格差があるのか…)

 

けれど、それは違いました。

 

村の中で格差があるのではなく、

その児童労働をしていたのは

隣国から出稼ぎで来たネパール人の

子供たちでした。

 

彼らは言葉のわからない国で

教育も受けられず友達もおらず

川辺の岩でガタガタのところに、

それこそ洪水がきたら、

一番に流されてしまうところに、

小さなテントを張って

必死に生きていました。

 

実際に目で見るだけでは

わからなかった、真実。

 

***

 

貧しい人にアプローチをする時に

訊く意見の中に、

 

「その地域を開発して、

    彼らの仕事を豊かにしよう」

「仕事を選択できるようにしよう」

 

「教育を通して、

    彼らの選択肢を広げてあげよう」

 

というのがあります。

どちらも、とっても素敵な考え。

それに対し、

まっすぐに行動している人たちを

純粋に尊敬します。

 

が、

 

私は開発を通して豊かにすることに

あまり賛成が出来ないです。

 

***

 

まずひとつめの理由として、

そんなにどこもかしこも開発しても

地球の資源って限られてるよね、

ということ。

 

***

 

そしてふたつめ、

環境問題的にも開発していくのは

どうなのかな、という思い。

未だ、ほかの動物達に被害を与えるの?

また地球を汚していくの?

人間だけの地球ではないのに、

という思い。

 

***

 

そしてみっつめの理由として

考えてしまうのが

「選択肢を増やした後」のはなし。

 

たしかに、

「貧しくて選択肢もなくって、

辛いい仕事だった人が、

やりがいを感じる仕事に転職して

さらに給料をアップして

貧困から抜け出しました」

というのはとても素敵な美談。

 

その人が幸せになったのなら、

私もとっても嬉しいです。

 

けれど、

じゃあその人がしてた仕事を

結局誰かがやらなきゃいけない。

 

日本では、

3Kと呼ばれる嫌な仕事の多くを

外国人労働者が安い賃金で

担っていると聞きました。

 

選択肢ができて選択をした結果、

ITがとってかわるまでは、

その仕事を結局誰かが

担わなければいけないのです。

 

また、

経済的に下の方にいた国が

発展して豊かになりました!

をいろんなところで行うと

結局全体が上にあがって、

相対的に見たとき、

下は下のまんまになるんじゃない?

っていう疑問。

 

あるいは、選択肢を知って、

けれど結局良い仕事につけなかった時、

同じ仕事をしていても比較してしまい、

「なんでこんな仕事しなきゃいけないんだ」

と幸福度だって下がります。

 

日本では、モノやお金豊かだけれど、

心が乏しいと言われてます。

 

じゃあ、開発して経済を回すことが、

彼らの幸せなのかな?

と考えてしまいます。

 

 

***

 

上記の理由は、

自論でしかないものもあるけれど、

 

開発することは

メリットもデメリットもある。

『先進国』という視点から見たら

正解に見えるそれに

私はまだ納得できてない。

 

彼らにとっての幸せってなんなのだろう?

豊かになるってなんなのだろう?

 

その答えは、なかなか出ませんでした。

 

…じゃあ

キレイでストンといく答えが

見つかるの?って聞かれたら

答えられないし、

幼稚な綺麗事を並べてるだけ

というのも、わかってはいる。

 

わかってはいる。

 

そして、

その綺麗事を現実にしたいのなら、

今の私には比べ物にならないくらい

血の滲むような努力をするべきなのに、

 

自分の幸せを守りたい、と

甘えている自分がいて、

その横には

「何をどう頑張ればいいのだろう」と

足踏みだけをしてる自分がいる。

 

本当に何もかも、中途半端。

 

***

 

そんな私が出会った、

とあるインドのスピリチュアルリーダー。

 

彼女は言っています。

 

『私の宗教は、愛です』

 

『世界中の誰もが、

   せめて一夜でいいから怯えずに寝られますよう。

   誰もが、せめて一夜でいいかお腹いっぱい食べられますよう。

   暴力で入院する人が世界中で一人もいない日が

   1日だけでもありますよう。

   すべての人がせめて一日だけでも見返りのない奉仕を行い、  

   貧しい人を、困っている人を助けなければならない。

   このささやかな夢だけでも叶うことが、私の祈りです』

 

***

 

彼女の言葉を聞いたとき、

自分の目指したものがわかりました

 

「安心して寝る」

「安心してご飯を食べる」

「安心して外を歩けて、

お日様が気持ちいなあって思える」

 

そんな私たちにとっての当たり前が、

実はとっても幸せなことで、

そんな当たり前の日常を過ごして

「幸せだ」って思える人を増やしたい。

 

たしかに、私が出会ってきた

貧しくても幸せだと笑っている人々は、

それを持っていた。

 

食べ物を買うお金がなくても、

助け合いでどうにか食べていたし、

みんなで川の字で寝て、

伸び伸びと外を歩いていた。

 

自分の幸せが、今自分がここにいて、

愛する家族や恋人がいることなのだと笑った。

 

『日常を幸せだと思える人を増やそう』

 

『そんな日常を、つくろう』

 

***

 

途上国への思い、

理不尽の被害者になってる人々へのやるせなさ、

青空のしたを歩くという幸せ、

人間中心でなく自然と共生したい、

 

私のいくつもの思いが、

ぐるくまるまわってたどり着いた

『日常を豊かにしよう』という答え。

 

***

 

この気持ちを思い出したのは、

Re:actの新谷りょうくんとりくおが開いてた

『カタルバ』ってイベントに参加して

自分の思いを語った時。

 

びっくりした。

 

そっか、私の中には

こんな熱い思いがちゃんとあったんだ、って。

悩んでるうちに、足踏みしてるうちに、

いつの間にか忘れてしまっていた。  

思いを置き去りにしてしまっていた。

 

だから、

もしこれを読んでくれてる人の中に、

足踏みしてる人がいたら、

私はどこに向かいたいんだっけ?って

なっちゃってる人がいたら、

自分の思いを誰かに話してみてほしい。

 

置いてけぼりにしてないかなって、

振り返ってみてほしい。

 

そしてまた、1歩1歩進んでいきましょう。