山羊に憧れたヒツジ

なんかもっと、日常を楽しんだらいいじゃん。

ゴミマンチュリアン

ゴミマンチュリアンが正解なのか、

モミマンチュリアンが正解なのかという議論に

決着をつけないまんま、

日本という国に帰ってきてしまいましたが、

私は、前者が正解だと思っています。

 

なんの呪文?と思ったでしょうが、

それの正体はなんと、カリフラワーです。

 

さて、久しぶりに行ったインドのボランティアから帰還しました。

皆さんお久しぶりです、まみっこです。


臭くて混濁した空気、
鳴り止まないクラクションに路上で寝る野犬。
ふと見れば道を横切っていく牛に、4人乗りのバイク。

 

少し郊外にいけば猿がむしゃむしゃしながらこちらを伺い、
大自然が生の喜びを感じさせてくれた国。

 

それが私にとっての、インド。

 

『生きてるって、素晴らしい。』

 

大袈裟じゃなくって、
そんな事を心から思ってしまう日が来るなんて思ってもみなかった。
自分のなかにそんな満ち足りた感情が流れるなんて思いもよらなかった。


子供たちはとても人懐こくて、かと思えば、
おじさんもおばさんも人懐こくて、
キラキラした笑顔で話しかけてくる。

一方で出稼ぎの子供たちは挨拶や笑い方すら知らなくて、
インドの悲しい側面も垣間見ることが出来た。

 

『また来たい。』

 

海外にきてそう感じたのは、始めてでした。

それが3年前のインドとの出会い。


***

 

大学生になって、

途上国を実際に見るためにボランティア団体に入って、

インドにいったりカンボジアいったり、

東北や岡山にもボランティアでいってみたり、

 

そんなかんじであっという間に月日は流れてて
いつの間にか学生ボランティア団体を

卒業する時期がやって来ました。

 

ボランティアの活動自体は

正直そんなには参加してこなかったけれど、
1年生の時のインドでの活動は私にとって国際協力の道に進むための第一歩目で、

たくさんモヤモヤして、たくさんぶつかって、泣いて、
その後も途上国に行くための勇気をくれました。

 

このインドでの活動をきっかけに、
途上国や貧しい地域に実際に足を運び続け、
国際協力について4年間考えてきました。

 

『あの活動がなければ、今の私はここにいない。』

 

そう本気で思えたから、

ラストのボランティアはやっぱりインドに行こう。
そう決めていました。

 

***

久しぶりに来たインドは
相変わらず噎せ返るような香りと、濁った空気が出迎えてくれて、
路上で寝る野犬がかわいくて、

顔の怖いおじさんが街灯でオレンジ色に照らされていました。

 

いつの間にか自分がアジアに慣れてしまっていたのか
始めて来た後輩たちがたくさん驚いているのを見て
「日本人ってそこにおどろくのか」と、驚いてしまいました。

 

少し寂しいことに、

衝撃を受けることは減ってきたけれど、
日本人がどこに着目するのかという、
自分にとっては新しい視点でインドに触れることができました。

 

***

【伝えることと巻き込むことの大切さ】


今回の活動で一番身に染みて感じたのは、
伝えること、巻き込んでくことの大切さです。

当たり前のことだけど、とても難しいことだなぁって思います。

例えば、

 

今回の活動内容は
綺麗な水を手に入れるのが大変な地域に
Water filter、つまり水の濾過装置の設置でしたが、

私としては、

『なんか、よくわからない外国人が黙々と作業して設置していった』より、
『フレンドリーな日本の学生が私たちのために一生懸命つくっていってくれた』の方が、

現地の方の印象もいいし、


「じゃあ使おう」「大事に使い続けよう」という気持ちを持てて、
長い目でみたらその場での作業の時間を最短にすることよりも
ある程度の交流はした方が価値を産み出す、と考えてます。

 

実際、一昨年訪れた家の人はどんなに家族が増えて家が狭くなっても、
「アンマ(インドのスピリチュアルリーダー)が私たちのために作ってくださった家なのでずっと住みたい」
とおっしゃってる人々を目にした。

 

だから、交流に注力した。話しかけるようにした。

 

結果、『作業中に交流してる』『作業の士気を下げるのでやめてほしい』と言われてしまった。

 

なぜか???

 

それは

・国際協力をやって来た人と、ボランティア作業をやってきた人の視点や立場の違い。
・どういう思いでの行動かを伝えなかった。

・個人プレーになってて、自分の思いに人を巻き込まなかった。

→さらに、「他の人が作業に重点を置いてるので自分は交流会に重点を置こう」と途中から交流の比重をあげてしまった。

・休憩が各自だったため、作業と休憩の境目が他の人からは見えにくくなっていた。
→過去のインドの活動では休憩での交流と作業がきちんとわけられる作業内容だった。

・そもそも手透きの時間が多く、自分のなかでも作業と休憩の境目が曖昧になっているときがあった。

 

その結果、
作業に重きを置いてる人にとっては
「作業中にさぼって交流してる人」にしか見えないような状況を
自分で作り出してしまったのだと思います。

 

作業も交流もどちらもとても大切。

 

だからこそ、
「この人はこういう思い・価値観をもってる」「この人はこれが得意だから任せよう」
といったように相互理解を深めて役割分担などをしていくべきだし、

そのためにどんどん自分の考えの提示や、
全体の在り方の提案を声に出していくべきだと痛感されられてしまいました。 

 

もしこれを読んでくれてる人の中にも
「団体行動って苦手や」「つい個人プレーしちゃう」って人がいたら

まずは隣の人に
『どうして自分がこれをしてるのか』
をシェアしてみるとこから始めていってほしいです!!

 

最初は大きな声なんか出せないから、
小さい声でも、思いを外に出すことが第一歩になるし、

その思いに共感して動く人が1人増えたら、その影響って倍になる!!すごい!!

 

***

また今回感じたのは、

インドの活動の目的として、

「経済的貧困者への支援活動を通して、インドの文化・人と向き合い、インドと日本の架け橋になる」というのを掲げているのですが、

『未来の架け橋とは具体的には、どのようなことが求められているのだろう』

ということです。

 

未来の架け橋になる上での関係性の築き方に
具体性が無いように感じています。

ゴールが、ざっくばらんとしてしまっているのではないかな?と。


だから、これは先ほどの問題点にも繋がるのですが、

どう動くべきだと感じるのかも個人差が生じてしまうのでは?というのが私の見解。


今回の隊の目的は今回だけでなく、今後も含めたインドの活動全体としての目的。

ならば、もっと長期的にインド隊のフェーズを組んで動いていけたら、よりインドの未来のために出来ることも増えるのではないかな?
とか思ってみたり、

 

あるいは、
今回交流したインド人学生の多くは、将来技術者になりたいという人が多かったのですが、

じゃあともに仕事をできる仲間になるために
日本人側がどのような価値を提供できるのか?、
自分達にマンパワー以外で何をできるのか?をわかっていない学生が多いなと感じました。


現地での企画で、一緒に大きな布に夢を書くというものがあったけれど、日本人の書いたものを見るとSmileとかhappyとかたしかに理想の未来の形ではあるけれど「お互いの思いを語り合う」には少し遠いのかな?と感じてしまう機会もあって、

 

だから事前準備として、
まず自分自身について知ることだったり、
それを知った上で伝えられる英語力をもつ、
というのが架け橋になるには、より大切なのかな?と感じてみたりしていました。

 

***

そんなこんなで、
今回の活動は、私史上今まででいちばん
考えさせられるものだったな、と感じています。

 

私にとってインドでのボランティアは
純粋な国際協力というよりは国際協力に関心をもってもらうきっかけであり、モヤモヤして帰ってもらいたいものなので、
そういう意味ではスーパーモヤモヤ出来る活動だったかな?と思います。

 

私自身、ラストなのに全然スッキリできずに帰ってきました!

 

あとは、カレーのみならずいろんなインド料理が食べられたし(特に今年はおいしかった!!)、
チャイもいっぱい飲めたし、寝台列車ものれたし、交流もできたし、今年も楽しい活動でした。

 

やっぱり、インドが好きです。大好きです。

 

でもそんなインドに行けるのは、安全にインド隊を終えて帰ってこれるのは当たり前じゃないので、支えてくれたみんなに感謝しなきゃなぁ、と、
4年生になって今まで以上に身に染みて感じてます。

 

そんな、2週間。


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