山羊に憧れたヒツジ

なんかもっと、日常を楽しんだらいいじゃん。

ゆらり、ゆらりと帰り道。

ゆらりゆらりと揺らされすぎて、

ひとつ先の駅で目を覚ます。

 

(また、やっちゃった…)

 

けれど今日はその行為に

あまり後悔をしていない。

どこか清々しいような気持ち。

 

コンビニエンスストア

アイスバーを買って、

軽やかな足取りで家路についた。

 

ちら、ほら、

 

寝過ごし仲間を横目に見ながら

 

冷たい帰り道の冷たいアイスは

とても最高だと思うのに

共感をしてくれる人は

指折りで数えられてしまう。

 

***

 

耳から流れる音楽に

踊りたいような気持ち。

 

ため息から、歌詞が零れる。

 

手の甲を、頬を、耳朶を、

ひんやりとした風が撫でていく。

ほぉっと息を吐くと、

白く染まって消えた。

 

鼻から息を吸うを、

静かに冷たい空気が

通っていくのがわかる。

 

公園の奥を、

静かに無人の電車が滑っていくのが、

美しい、と感じた。

 

そして目を天に向けると、

群青色の空が世界を包んでて、

足元では街灯に翻弄された影が

追い抜いては追いかけてくる。

 

…まるで、遊んでるみたい。

 

***

 

街灯の下で立ち止まり、

目を瞑ると、

暗闇と静寂に包まれ

私しかいない世界。

 

…ではない。

 

寂しがり屋の音たちが

私にいたずらに声をかけては、

孤独を邪魔しに来る。

 

通りかかった川のそばに腰掛け

流水の音に身を任せると

不思議で偉大な何かに

包まれているかのような気持ち。

 

きっとこれは、

日本人が古来から崇める[神]とかいう、

それかもしれない。

 

ふと、洪水が襲いかかってくる音に

慌てて目を開けると、

通り過ぎていくタクシー。

タクシーの走る音がこんなにも

恐ろしい音に聞こえるとは

思いもしなかった。 

 

深夜の、新しい発見。

 

発見は、たのしい。

 

補修でもしているのか、

小さい頃からあるマンションが

足組に覆われ、なんとも

現代アートみたいになってたり、

 

少し歩くと目の前には

陽気なおばちゃんやお兄さん。

少し先の居酒屋から出てきたようで

黄色いタクシーに

別の兄ちゃんを詰め込んでる。

 

「もう1回戻ってきてちょうだい」

「全然いいですよ」

 

とりとめもない、

けれどどこかほっこりする会話を

タクシーの運転手と交わしている。

 

開けっぱなしの引き戸から

お店の中を覗き込むと、

まだまだ5,6人のお客さん。

 

常連さんかな、

 

カウンターしかなくて

少し小汚い店内。

おしくらまんじゅうのような

押し込まれたイスたち。

 

そのまんま店内に

吸い寄せられたくなってしまうのを

後ろ髪引かれる思いで通り過ぎ、

(今度来よう)と決心。

 

いつか私も大きくなったら

どこかの小さな居酒屋の常連になって

カウンターで店主や客と

笑い合うのだ、と思う。

 

***

 

落ち葉は風にたたき起こされて

妖精のように走ってく。

 

なびく木々は、

やはり少し恐ろしく厳か。

自然は、本当に尊大。

 

恐ろしくて、美しくて、尊大。

 

そして、そう感じられる私は

幸せだなあ、と思う。

五感で、生きることを感じれている。

それはとても尊いこと。

 

***

 

そうしているうちに、家に着く。

 

そんなある日の、帰り道。

 

手の中の残り2%




「あ、あと2%」

 

まみっこあるある、のひとつです。

すぐにスマホの電源が切れる。

SNSが好きなのと、

そもそもスマホが古いくて

すぐに電池が減ってしまいます。

 

そこで、残り2%で急いで

電源カフェを検索。

 

文字の羅列の中にあった

 

「森の図書室」

 

その名前に惹かれ、

金欠にもか変わらず行ってみることに。

 

着く前に電源が切れてしまったので、

一瞬見た地図で覚えていた

だいたいのところについてからは、

周りの建物を見ながら探す。

 

こうやって地道に探す、

意外とワクワクする

 

と言うのはとても久しぶり。

 

スマホから少し離れると

忘れていた記憶を思い出す。

新しい発見もする。

 

スマホばかり見て下ばかり見てると

張り巡らされるネットワークで

世界が広がるように見えて

世界がだいぶ狭くなっているのを

気付かされる。

 

「じゃあスマホって悪いもの?」

「ない方がいい?」

 

と思う人もいるかもしれない。

実は私も、スマホに対して

結構マイナスな感情も多かった。

 

下に貼ったのは

子供向けのワークショップでつくった

パワーポイント。


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そんなこんな、これも含めて、

スマホに向き合う機会が多い私。

 

最近の私が感じるのは

[スマホがあるから]

ない時の発見は大きい。

 

ないことが、

それが当たり前ならまたそれはそれで

「当たり前」を「当たり前」と

気づかずにながしてしまう人

見逃してしまう人が多いのも

知ってるので

 

どっちもどっちだなぁ、

 

うーん、

 

ってなっちゃう。

 

 

そんなわけで、

目的地にたどりつく。

 

見つからないから無理かなあ

と思った矢先に、

 

「わ、あった!」

 

Googleマップでたどり着くより、

全然嬉しいですね(笑)

 

お店はとってもわくわくする

 素敵なお店でした。

 
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初めてのお酒を二種類飲みました。

紅茶のお酒のミルク割、と、

スロージンというリキュールのロック。


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こういう空間との出会いが、

私の生きがいだったり

幸せだなぁと感じています。

 

ぜひ気になる人は行ってみてください!

 

子供とかかわる

「子供から学べること」って

なにがあるんだろう?と思ってた私。

 

KIDNESS ( https://www.facebook.com/Kidness.edison/ )の活動を始めてみて最近感じているのは

 

「子供の発想がおもしろい!」

 

というより、

 

子供も大人もおもしろい発想ができるのに

 

大人は声に出す前に、

「現実的じゃないかも」「微妙かも」

「周りから批判されるかも」

そんなことを無意識に考えてしまい、

自分の中で消してしまっているということ。

 

そして、

 

私も、そんな大人の1人。

 

だから、ミーティングのときにも

(これは+αの意見だから

  必要か不必要でいえば不必要でしょ)

と、自分の意見を留めていました。

 

でもこのことに気づいて、

くだらなくっても自分の意見を

口に出すように、って心がけてみたら

 

「そのアイデアおもしろいね!」

 

さっそく採用されたり、

ミーティングの生産性もあがり、

私自身もとってもすっきりしました。

 

あなたの意見の価値を、

あなたの中だけで完結させないでください。

もしかしたら

本当に必要のない意見かもしれないけれど、

もしかしたらとっても素晴らしい意見かも!

誰かを助けたり、笑顔に出来るかも!

 

あなたの意見は、

あなたにしか思いつかないのだから

もっと大切にしてあげてください。

 

では!

コアラの鼻


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ところで、コアラの鼻って不思議。

by the way, the koara's nose is strange!

 

我ながら、わけわからないツイート。

 

けれど、こういうわけのわからない

ささいなことに気づくって、

とってもとっても面白いです。

 

自分のツイートなのに、

「たしかに!コアラの鼻って不思議!」 

って思ってしまいたした…笑

 

けれど、何故英語をつけた!?!?笑笑

 

他にも、


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盗み飲み、の割には堂々としてる。

 

盗み飲みしてるところだよ、じゃないよ!笑

わけわかんない!!笑

ってツッコミたくなる。

 

自分のツイートを振り返ると

「ほんとに馬鹿みたいな発想」

「平和なあたまをしてるなあ」

と、つよくかんじます。


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卑弥呼は、つよそう、らしい。

 

こういう日常のどうでもいい、くだらない、

特別じゃない日の

特別じゃない1ページに

スポットライトを当てまくる、

 

そんな人になりたいし、

そうやってあり続けたいなあ。

 

そう思った、今日このごろ。

 

それにしても


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動物が出てくるものばかり。

 

自分のアニマル好き感が露呈してて

ちょっとはずかしいような。

お金で幸せを買う。

 

「お金で幸せが買える」

 

というのは、

お話の中の性格の悪い貴族や王様の、

台詞なのかもしれません。

 

けれど、私は実際にそう思います。

 

***

 

「お金で幸せは買える」

 

***

 

 今日は朝から贅沢をしました。

 

と、いうのも、今日は入っている団体の

活動(勉強会みたいな)があったのですが

最近キャパオーバー気味で

疲れを溜めに溜め、寝坊をしてしまいました。

(ほんとは一度目を覚ましたけれど

体がどうにも重くて…)

 

あわてて家を出たけれど

コンテンツ的に途中参加はあまり意味がない

ということになり

急遽、次の予定まで空きが。

 

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急いで家を出て

ご飯を食べてなかったので

ヒカリエに寄って

300円のこぶしより小さいハンバーガーと、

300円のマンゴースムージー。

 

チーズバーガーはちっちゃいのに、

ハンバーグから肉汁もでてきて

とてもしっかりとした味でした。

おいしかった。

 

スムージーも、

日本の多くのスムージー屋さんは

頼まれる度に氷入れてガーってするから

海外で飲むそれに比べて、

「ちょっと薄くない?」

と思うことが多いのですが

ちゃんと果肉を使ってるんだろうなぁ

としっかりとした味で飲みごたえもグッド。

 

その後、

電車の冷房で体が少し冷えてしまってたので

「あったかい珈琲が飲みたいなあ」

と、『ヒカリエ コーヒー』で検索。

 

普段は足を伸ばし

セブンの100円コーヒーを

買いに行くところですが

先ほど言ってように体から疲れが抜けず、

歩きたくないし、

 

そこでふと思い出したのです。

 

「疲れたりストレスが溜まった時、

    私にとっていちばんの癒しって

   カフェでのんびりすることじゃん!」

 

日常に追われていると、

体だけじゃなくて脳や心も疲れてるので

 

どうしたら自分は

ストレス発散できるんだっけ?とか

 

そういうところを考える余裕すら、

なくなってしまうのだなぁ、

だから冷静な判断ができなくって

病んじゃう人が多いんだなぁ、

こわいなぁ、

という新しい発見をしました。

 

そしてヒカリエ1階にあったカフェで

レーズンのスコーンと

ブレンドコーヒーのセットを。

こちらは650円。

 

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このスコーンが、

ほんとに美味しくって

うっかり(おかわりしようかな)と

思ってしまいました。

 

これが、私の幸せだって

胸を張って言える美味しさ。

 

でもうまく食レポできないので、

修行して出直してきます。

 

***

 

そして思いました。

 

「東京に住んでて、1日1000円使えれば

私は私にとっての幸せが買えるんだな」

 

1日1000円。

 

1ヶ月、30000円。

 

安いところを探せば

5万円でアパートが借りれて

食費が約2万円。

光熱費はよくわからないけど

雑費諸々こんでも、

ひと月に15万円も稼げれば

私は毎日の自分を幸せにしていける。

 

もちろん、

お金があれば友達はいらないとか

そういう話じゃないけれど、

 

お金で幸せって、買うことが出来る。

 

それは少し寂しいけど

とてもシンプルな結論。

 

***

 

だからこそ、少し怖いと思ってしまう。

 

世界を平和に少しでも近づけるために、

まず日常の小さな幸せを感じられる人を

ひとりでも増やしたい、

そのために私の人生を使いたい

と思っているけれど

 

正直ある程度興味もてるものならば

どんな仕事をしても

私は楽しめる自信があるし

自分を幸せにしてく自信もある。

 

ので、

そこで甘んじてしまいそう。

と、怖くなる。

 

だってそっちの方がきっと

求められたことをしていればいいので

気持ちが楽だもの。

 

現時点で可視化できる形で

求められていないものを

「私は価値だと思う」

と生み出していくのは、

心理的な不安がおっきい。

 

***

 

とはいえ、

 

弱音はいてる場合じゃない!

 

かもしれないけど

私は思うんだよね、弱音はいてるのは

前に進もうとしてる証なんじゃないかって。

だってそれは、

言い訳でと開き直りでもないから。

 

だからね、

 

弱音吐きながら、

幸せをポケットマネーで買いながら

一緒に前に進んでいきましょう。

やし酒飲み

『やし酒飲み』

 

とは、小説のタイトルです。

アフリカ文学の最高傑作。

 

日本人的な感覚で読むと、

わけわからん!ってなります。

固定概念覆されます。

 

とてもオススメなので読んでみてください。

 

ってだけ。

ネタバレはしたくないので、

何も言いません。

 

偏見のない眼でぜひ、

一読してみてください。


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躓いたら、思いに立ち返る。

最近の私は、

自分のすすむ方向に迷走してて、

前に進まないどころから、

足踏みしていたのかすらわからない、

そんな日々が続いていました。

 

自己理念【日常にキラキラを】

 

ひどく抽象的な理念ですが、

私はずっと、『日常』を

キーワードにしてきました。

 

けれど、じゃあ、

なぜそこにたどり着いたのか。

それを、ずっと忘れていました。

思いを、置き去りにしていました。

 

***

 

気づいた時には、

「理不尽で生きられない

    途上国の彼らに何かしたい」

と思っていました。

 

なぜ?

 

きっとそれは、

「困っている人がいたら助けたい」

と思うごく当たり前の感情から

来てるのではないかな、と

私は思っています。

 

あるいは、

自分を囲んできた理不尽に対し

こういう思いをする人を

増やしたくないという思いも

あるかもしれません。

 

そして、夢を探す途中で

テレビで「難民」という存在を知り、

そこにフォーカスを当て始めました。

 

***

 

大学に入ってから、

「まず途上国というものを見てみよう」

という単純な思考回路によって

途上国や貧しい地域を

ボランティアやスタディツアーを通して

訪れるようになりました。

 

***

 

初めて行ったインドの

貧困を抱えた山村で見た、児童労働。

 

しかし、同時に、

その村の多くの子供たちは

貧しい村でも綺麗な水色の制服を着て、

学校に通っています。

 

(やはり貧しい村の中でも

  格差があるのか…)

 

けれど、それは違いました。

 

村の中で格差があるのではなく、

その児童労働をしていたのは

隣国から出稼ぎで来たネパール人の

子供たちでした。

 

彼らは言葉のわからない国で

教育も受けられず友達もおらず

川辺の岩でガタガタのところに、

それこそ洪水がきたら、

一番に流されてしまうところに、

小さなテントを張って

必死に生きていました。

 

実際に目で見るだけでは

わからなかった、真実。

 

***

 

貧しい人にアプローチをする時に

訊く意見の中に、

 

「その地域を開発して、

    彼らの仕事を豊かにしよう」

「仕事を選択できるようにしよう」

 

「教育を通して、

    彼らの選択肢を広げてあげよう」

 

というのがあります。

どちらも、とっても素敵な考え。

それに対し、

まっすぐに行動している人たちを

純粋に尊敬します。

 

が、

 

私は開発を通して豊かにすることに

あまり賛成が出来ないです。

 

***

 

まずひとつめの理由として、

そんなにどこもかしこも開発しても

地球の資源って限られてるよね、

ということ。

 

***

 

そしてふたつめ、

環境問題的にも開発していくのは

どうなのかな、という思い。

未だ、ほかの動物達に被害を与えるの?

また地球を汚していくの?

人間だけの地球ではないのに、

という思い。

 

***

 

そしてみっつめの理由として

考えてしまうのが

「選択肢を増やした後」のはなし。

 

たしかに、

「貧しくて選択肢もなくって、

辛いい仕事だった人が、

やりがいを感じる仕事に転職して

さらに給料をアップして

貧困から抜け出しました」

というのはとても素敵な美談。

 

その人が幸せになったのなら、

私もとっても嬉しいです。

 

けれど、

じゃあその人がしてた仕事を

結局誰かがやらなきゃいけない。

 

日本では、

3Kと呼ばれる嫌な仕事の多くを

外国人労働者が安い賃金で

担っていると聞きました。

 

選択肢ができて選択をした結果、

ITがとってかわるまでは、

その仕事を結局誰かが

担わなければいけないのです。

 

また、

経済的に下の方にいた国が

発展して豊かになりました!

をいろんなところで行うと

結局全体が上にあがって、

相対的に見たとき、

下は下のまんまになるんじゃない?

っていう疑問。

 

あるいは、選択肢を知って、

けれど結局良い仕事につけなかった時、

同じ仕事をしていても比較してしまい、

「なんでこんな仕事しなきゃいけないんだ」

と幸福度だって下がります。

 

日本では、モノやお金豊かだけれど、

心が乏しいと言われてます。

 

じゃあ、開発して経済を回すことが、

彼らの幸せなのかな?

と考えてしまいます。

 

 

***

 

上記の理由は、

自論でしかないものもあるけれど、

 

開発することは

メリットもデメリットもある。

『先進国』という視点から見たら

正解に見えるそれに

私はまだ納得できてない。

 

彼らにとっての幸せってなんなのだろう?

豊かになるってなんなのだろう?

 

その答えは、なかなか出ませんでした。

 

…じゃあ

キレイでストンといく答えが

見つかるの?って聞かれたら

答えられないし、

幼稚な綺麗事を並べてるだけ

というのも、わかってはいる。

 

わかってはいる。

 

そして、

その綺麗事を現実にしたいのなら、

今の私には比べ物にならないくらい

血の滲むような努力をするべきなのに、

 

自分の幸せを守りたい、と

甘えている自分がいて、

その横には

「何をどう頑張ればいいのだろう」と

足踏みだけをしてる自分がいる。

 

本当に何もかも、中途半端。

 

***

 

そんな私が出会った、

とあるインドのスピリチュアルリーダー。

 

彼女は言っています。

 

『私の宗教は、愛です』

 

『世界中の誰もが、

   せめて一夜でいいから怯えずに寝られますよう。

   誰もが、せめて一夜でいいかお腹いっぱい食べられますよう。

   暴力で入院する人が世界中で一人もいない日が

   1日だけでもありますよう。

   すべての人がせめて一日だけでも見返りのない奉仕を行い、  

   貧しい人を、困っている人を助けなければならない。

   このささやかな夢だけでも叶うことが、私の祈りです』

 

***

 

彼女の言葉を聞いたとき、

自分の目指したものがわかりました

 

「安心して寝る」

「安心してご飯を食べる」

「安心して外を歩けて、

お日様が気持ちいなあって思える」

 

そんな私たちにとっての当たり前が、

実はとっても幸せなことで、

そんな当たり前の日常を過ごして

「幸せだ」って思える人を増やしたい。

 

たしかに、私が出会ってきた

貧しくても幸せだと笑っている人々は、

それを持っていた。

 

食べ物を買うお金がなくても、

助け合いでどうにか食べていたし、

みんなで川の字で寝て、

伸び伸びと外を歩いていた。

 

自分の幸せが、今自分がここにいて、

愛する家族や恋人がいることなのだと笑った。

 

『日常を幸せだと思える人を増やそう』

 

『そんな日常を、つくろう』

 

***

 

途上国への思い、

理不尽の被害者になってる人々へのやるせなさ、

青空のしたを歩くという幸せ、

人間中心でなく自然と共生したい、

 

私のいくつもの思いが、

ぐるくまるまわってたどり着いた

『日常を豊かにしよう』という答え。

 

***

 

この気持ちを思い出したのは、

Re:actの新谷りょうくんとりくおが開いてた

『カタルバ』ってイベントに参加して

自分の思いを語った時。

 

びっくりした。

 

そっか、私の中には

こんな熱い思いがちゃんとあったんだ、って。

悩んでるうちに、足踏みしてるうちに、

いつの間にか忘れてしまっていた。  

思いを置き去りにしてしまっていた。

 

だから、

もしこれを読んでくれてる人の中に、

足踏みしてる人がいたら、

私はどこに向かいたいんだっけ?って

なっちゃってる人がいたら、

自分の思いを誰かに話してみてほしい。

 

置いてけぼりにしてないかなって、

振り返ってみてほしい。

 

そしてまた、1歩1歩進んでいきましょう。