とうめいなうた。

日常をキラキラに。みんながはっぴーな世界を愚直に夢見て、今日も生きてます。

意外性×おつまみ

『意外性』というのは、
時に想像以上の
ワクワクやドキドキを生むものです。

「ギャップ」と呼ばれるそれですね。

 

***

例えば、お風呂カフェ。

『お風呂×カフェ』
お風呂とカフェをかけちゃうの!?
と誰しも最初は思ったはず。
でもそこから、ワクワクが生まれた。

 

例えば、グランピング。

『豪華×キャンプ』
キャンプなのに豪華???
BBQで高級な肉でも焼くの???
と頭にはてなが浮かんで、
でも同時に少しドキドキしませんでしたか?

 

***

共感してくれた人にも
共感してもらえなかった人にも

今日はそんな『意外性』のある
最近の私のドキドキしたおつまみを紹介します。

 

マスカルポーネ×酒盗

何それ??っていう組み合わせですが
本当に相性ぴったりで
ドキドキ幸せな気持ちになりました。

 

クリームチーズ×梅干し』

梅干しをチーズが
マイルドにしてくれます。

『ポテトサラダ×ゆず胡椒×レーズン』

 

少し大人な味になります。
あともうひとつ、
ポテトサラダにそれ
いれちゃうの??ってのあったのに
忘れてしまいました(笑)

 

騙されたとおもって食べてみたときに
本当に美味しいと
なんか得した気分になっちゃいますね。

 

そんな小さなドキドキワクワクを
大切にしながら生きてったら
毎日とってもhappyになりそう!!

 

では。

倍率 1000倍

【2万人のうち、たった20人】
【倍率、1000倍】 

 

さて、なんの数字だと思いますか?

 

かの人気な早稲田大学
人気な学部でさえ倍率30倍とかなのに
(それでも十分すごい…)
倍率1000倍て、わけわかんないですよね。

 

 

実はこれは、
《2017年に日本で認定された難民の数》。

申請者2万人に対して、たった20人。

 

あとの人はお金を稼げず
新宿の路上で寝たりと
ホームレスのような生活を送ったり、
命の危険があって逃げてきたはずの母国に
強制送還されたり。

 

難民が収容されてる施設では、
朝に体調不良を訴えたらあしらわれ、
夕方には病気で死んでた!
なんてケースまであります。 

 

私たちの暮らしの裏側で
とても多くの人が悲しい思いをしています。 

 

*** 

 

そもそも難民とは、
紛争とか差別とかそんな理由で
命をおびやかされてる人のことです。

 

そういう人たちは、
命からがら逃げてくるので
もちろん、
パスポートやらいろんな書類を
丁寧にパッキングしてる余裕なんてなくて

 

けれど日本の難民認定してる場所では
「書類を出せ」
「難民という証拠はあるのか」
と言われてしまいます。

 

【なぜ??】 

 

難民認定をしてる人たちの言い分では、
難民申請者の大半は「偽装難民」、
つまり難民じゃなくて日本で働きたいから
難民のふりして申請している人で、

 

だから、
「認定数が少ないのは問題ない!」のだそう。

 

本当に偽装難民ばかりなの?? 

 

⇒ 参考記事/ https://www.refugee.or.jp/jar/report/2018/02/13-0002.shtml?utm_source=JAR便り&utm_campaign=dc14f1092e-EMAIL_CAMPAIGN_2018_02_15&utm_medium=email&utm_term=0_f7a465752b-dc14f1092e-79176505 

 

たしかに、
そういう人たちが
ちょっぴりいることは事実かもしれない。


けど、それはあくまで一握り。

なのに、
偽者をいかに取り締まるか?
という視点ばかりに注力されてて

難民として保護されるべき人たちを
そもそも救えていない制度への問題意識が
薄まっちゃっていることは大きな問題です。

 

日本に暮らしている1人として、
とても悲しいし、
やるせない気持ちになりますよね。

 

***

 

では、私たちに何ができるのでしょうか???

 

まずは難民について知ってほしいです😊
ぜひ、ぐぐってみてください。

 

そして、
頭に布を巻いた女性を見たときや、
顔の濃い外国人男性を見たとき、
受け入れてあげてください。

 

特に、
しゃべってみるとわかるけど、
彼らも普通に優しい人だし
話もそれなりに面白いので!!!!


それが国際交流は平和への第一歩!!!!

 

 

森のくまさんのはなし。



クマさんは賢い。

 

下の画像は、Twitterより引用です。
(@p6trf_w さんのツイートより)

 

野生動物に関する理解のある人が増えて、
不必要に傷つけられるクマさんが
1匹でも減りますように。

 


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それにしても、絵がうまい。

読みやすい、すごい。

黒い住人。

こんな夜には、

少し心がザワザワする夜には、

 

なんで生きてるんだろうとか、

生きたくないとか、

誰も信じられないとか、

 

行動出来てないと、

不安なことがあると、

ネガティブな感情が

ここぞとばかりに私を乗っ取ろうとする。

 

私の心の奥の方に住み着いて、

機会をうかがってるんだなぁ。

 

そんなときに出てくるのは、 

幼稚園のとき先生に

自分の考え方を理解してもらえなくて、

というか鼻から言い分きいてもらえなくて

「お友達に譲ってあげなさい」精神で、

頭ごなしに怒られて、

自分の存在を否定されたようで、

ひどく悲しくなって

「私なんていない方がいいのかな」

「私の考え方は変なのかな?」

ってはじめて感じた休み時間の記憶と、

 

小学校のとき本気で自殺を悩んだあの夜。

 

自殺を悩んで、

死に方は飛び降りることしか

思いつかなかったけど、

自分が死んだあとのことを考えた。

たぶん悲しんでくれる友達は1人いたし、

1人しかいなかったけど、

その代わり両親がきっと

たくさん泣くんだろうなって思った。

それを思ったら、私まで泣けてきて

 

全然支えてもらえないし、

頑張っても褒めてもくれないし、

冗談通じないし、めんどくさいし、

価値観違いすぎて少し苦手だけど、

本音だって言えないけど、

それでもやっぱり、 

 

それでもやっぱり、

私は愛されてるんだろうなぁって、

親のことを考えたら

死ねなくなるくらいには、

きちんと愛されてたんだなぁって感じた。

 

だから、今生きてる。

 

生きてる、けど、

 

やっぱり生きてるのはしんどい。

しんどいことの方が多い。

 

今まで恋人が出来たこととかないけど、

それってつまり

誰の特別にもなれてなくて、

極端な話、友達が私と恋人の

二者択一を迫られたら

きっとみんな離れていく。

 

最後は結局1人ぼっち。

 

だからなんだっていうんだって

思うけれど、

そんな些細なことが私を

とても不安にさせる。

 

そんなことにばかり不安になって、

私自身がきちんと人を愛せてないから

結局誰も愛してはくれない。

 

愛してもらえる人は、

愛せる人で、

愛せる人はきっと、

愛してもらってきた人なんだろうな

って愚かな嫉妬をする。

 

けれどきっと私が死んでも

「ちょっと悲しい」って

一時的に誰かの胸を痛めて、

でも誰の生活も変えず、

 

そして生きててもきっと

誰にも必要とされず、

いたらいたで嬉しいけど位には

思われることはあっても、

結局、求められることは

必要とされることは、

ないんだろう、なぁって

 

小さい頃から

お母さんと対立するとお父さんに怒られて、

理屈を説明しても

「もしお母さんが間違ってたとしても

お父さんが一番愛してるのは

お母さんだから

そのお母さんに歯向かうのは許さない」

と誰も言い分なんて聞いてもらえなかった。

 

お父さんと意見が対立しても、

「お父さんが我が家のルールだから

意見を通すのは諦めなさい」

とお母さんにさとされて、

 

どんなにがんばっても

お兄ちゃんの次、だったし、

 

味方はずっとペットだけで、

 

私の声は誰にも届かなかった。

努力は、「当たり前」と流された。

 

そんな存在に意味なんてあるのかって、

この22年間、自問自答、

ずっと心の穴を埋めたくて、

いてもいなくても変わらなくて、

だからせめて生きてる意味をつくりたくて、

社会とかに良いことをしようって、

夢の理由に関してはそれだけじゃないけど、

 

けどせめて、

自分の存在をプラスにしたくて

 

だけどもし誰かにとっての

大切な存在になれていたとしても、

今の私はズタズタで

人の言葉なんて信じられないから

 

「どうせ私みたいな何もなくて

何もできなくて、すぐに頼りたがるし、

ネガティブでメンヘラで、

黒いドロドロとした生き物が

心の中に住み着いてる私なんか

誰も好きになるはずがないって、

どうせ嫌いになるんだ」

 

って

 

思いたくないけれど、

思ってしまう自分を

いつまでも追い出せなくて、

 

10年くらい追い出そうと必死に

ジタバタもがいてるはずなのに、

全く前に進めてなくて、

 

あの頃の爪を噛んで下ばかり見て

自分の殻に綴じ込もって漫画書いてた

幼い私となーんにも変わらなくて

 

誰も信じられないから、

 

それじゃあきっと

変われないし、変わらない。

生きるのが、ずっとしんどいだけ。

前に進みたいのになぁ。

 

頑張れって言われるけど

ほんとに、

何を頑張ればいいんだろうな。

 

それでも生きてかなきゃいけない、って 

ほんとに誰が決めたんだろか。

 

ただ自分のモットーとして、

生きるために食べるためと、

命を守るための自己防衛のため、

以外では命を奪わないって決めたから、

自分を殺すことはそのモットーに

反することになるし、

 

誰かを悲しませるのも

やはり自分の信念に反するから

今はまだ死ねないんだよ、

 

だって、せめて、

誰にも求められず、

誰にも認められずとも、

最低限自分自身には見切りをつけられず、

自分が納得できる自分でいたいじゃん。

そのプライドはきっと

捨てちゃいけないと思うから、

 

しんどい夜はとりあえず

現実から目を背けて寝ようと思います。

 

おやすみなさい。

 

空間づくり


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『空間づくり』と言うと、
よく「インテリア?」と聞かれます。

 

たしかに、内装も大切。

 

だけれど、
そこにいる人の服装とか、
誰がいるのか、どんな気分の人がいるのか、
出てくる食べ物、そこに使われる食器とか、
照明の明るさ、BGM、外の天気、
その1つ1つがその空間を作りあげます。

 

例えば、
おそろっちコーデでディズニーいくと
テンションあがるでしょ?


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でも雨で寒かったりすると、
ちょっとテンション下がるでしょ?

 

そういう要素って、
「そこまで大切じゃない」
「そこまでやるのはめんどくさい」
と思われがちで
なかなか理解をしてもらえないけど、

私はそういうのも含めて空間をつくりたい。

 

宅飲みするときも、
ポテチやチータラもお皿に移したいし、
お酒も缶じゃなくて
その場にあうグラスに入れたい。

 

ライブは演奏だけじゃなくて
MCの言い回しや衣装も気にしたい。

 

何故ならそれが、
私がとてもわくわくできる空間づくりだし、
つくる過程はめんどくさいかもしれないけど、
そういう空間って
きっとみんなをワクワクさせてくれる。

 

そうやってワクワクできる空間が、
日常にも非日常にもたくさん転がってたら
とっても素敵だなぁって思うでしょ?


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ちなみにこの写真は

私がスーパー憧れてる部屋。

将来自分の部屋はこんなかんじにしたい。

 

ゴミマンチュリアン

ゴミマンチュリアンが正解なのか、

モミマンチュリアンが正解なのかという議論に

決着をつけないまんま、

日本という国に帰ってきてしまいましたが、

私は、前者が正解だと思っています。

 

なんの呪文?と思ったでしょうが、

それの正体はなんと、カリフラワーです。

 

さて、久しぶりに行ったインドのボランティアから帰還しました。

皆さんお久しぶりです、まみっこです。


臭くて混濁した空気、
鳴り止まないクラクションに路上で寝る野犬。
ふと見れば道を横切っていく牛に、4人乗りのバイク。

 

少し郊外にいけば猿がむしゃむしゃしながらこちらを伺い、
大自然が生の喜びを感じさせてくれた国。

 

それが私にとっての、インド。

 

『生きてるって、素晴らしい。』

 

大袈裟じゃなくって、
そんな事を心から思ってしまう日が来るなんて思ってもみなかった。
自分のなかにそんな満ち足りた感情が流れるなんて思いもよらなかった。


子供たちはとても人懐こくて、かと思えば、
おじさんもおばさんも人懐こくて、
キラキラした笑顔で話しかけてくる。

一方で出稼ぎの子供たちは挨拶や笑い方すら知らなくて、
インドの悲しい側面も垣間見ることが出来た。

 

『また来たい。』

 

海外にきてそう感じたのは、始めてでした。

それが3年前のインドとの出会い。


***

 

大学生になって、

途上国を実際に見るためにボランティア団体に入って、

インドにいったりカンボジアいったり、

東北や岡山にもボランティアでいってみたり、

 

そんなかんじであっという間に月日は流れてて
いつの間にか学生ボランティア団体を

卒業する時期がやって来ました。

 

ボランティアの活動自体は

正直そんなには参加してこなかったけれど、
1年生の時のインドでの活動は私にとって国際協力の道に進むための第一歩目で、

たくさんモヤモヤして、たくさんぶつかって、泣いて、
その後も途上国に行くための勇気をくれました。

 

このインドでの活動をきっかけに、
途上国や貧しい地域に実際に足を運び続け、
国際協力について4年間考えてきました。

 

『あの活動がなければ、今の私はここにいない。』

 

そう本気で思えたから、

ラストのボランティアはやっぱりインドに行こう。
そう決めていました。

 

***

久しぶりに来たインドは
相変わらず噎せ返るような香りと、濁った空気が出迎えてくれて、
路上で寝る野犬がかわいくて、

顔の怖いおじさんが街灯でオレンジ色に照らされていました。

 

いつの間にか自分がアジアに慣れてしまっていたのか
始めて来た後輩たちがたくさん驚いているのを見て
「日本人ってそこにおどろくのか」と、驚いてしまいました。

 

少し寂しいことに、

衝撃を受けることは減ってきたけれど、
日本人がどこに着目するのかという、
自分にとっては新しい視点でインドに触れることができました。

 

***

【伝えることと巻き込むことの大切さ】


今回の活動で一番身に染みて感じたのは、
伝えること、巻き込んでくことの大切さです。

当たり前のことだけど、とても難しいことだなぁって思います。

例えば、

 

今回の活動内容は
綺麗な水を手に入れるのが大変な地域に
Water filter、つまり水の濾過装置の設置でしたが、

私としては、

『なんか、よくわからない外国人が黙々と作業して設置していった』より、
『フレンドリーな日本の学生が私たちのために一生懸命つくっていってくれた』の方が、

現地の方の印象もいいし、


「じゃあ使おう」「大事に使い続けよう」という気持ちを持てて、
長い目でみたらその場での作業の時間を最短にすることよりも
ある程度の交流はした方が価値を産み出す、と考えてます。

 

実際、一昨年訪れた家の人はどんなに家族が増えて家が狭くなっても、
「アンマ(インドのスピリチュアルリーダー)が私たちのために作ってくださった家なのでずっと住みたい」
とおっしゃってる人々を目にした。

 

だから、交流に注力した。話しかけるようにした。

 

結果、『作業中に交流してる』『作業の士気を下げるのでやめてほしい』と言われてしまった。

 

なぜか???

 

それは

・国際協力をやって来た人と、ボランティア作業をやってきた人の視点や立場の違い。
・どういう思いでの行動かを伝えなかった。

・個人プレーになってて、自分の思いに人を巻き込まなかった。

→さらに、「他の人が作業に重点を置いてるので自分は交流会に重点を置こう」と途中から交流の比重をあげてしまった。

・休憩が各自だったため、作業と休憩の境目が他の人からは見えにくくなっていた。
→過去のインドの活動では休憩での交流と作業がきちんとわけられる作業内容だった。

・そもそも手透きの時間が多く、自分のなかでも作業と休憩の境目が曖昧になっているときがあった。

 

その結果、
作業に重きを置いてる人にとっては
「作業中にさぼって交流してる人」にしか見えないような状況を
自分で作り出してしまったのだと思います。

 

作業も交流もどちらもとても大切。

 

だからこそ、
「この人はこういう思い・価値観をもってる」「この人はこれが得意だから任せよう」
といったように相互理解を深めて役割分担などをしていくべきだし、

そのためにどんどん自分の考えの提示や、
全体の在り方の提案を声に出していくべきだと痛感されられてしまいました。 

 

もしこれを読んでくれてる人の中にも
「団体行動って苦手や」「つい個人プレーしちゃう」って人がいたら

まずは隣の人に
『どうして自分がこれをしてるのか』
をシェアしてみるとこから始めていってほしいです!!

 

最初は大きな声なんか出せないから、
小さい声でも、思いを外に出すことが第一歩になるし、

その思いに共感して動く人が1人増えたら、その影響って倍になる!!すごい!!

 

***

また今回感じたのは、

インドの活動の目的として、

「経済的貧困者への支援活動を通して、インドの文化・人と向き合い、インドと日本の架け橋になる」というのを掲げているのですが、

『未来の架け橋とは具体的には、どのようなことが求められているのだろう』

ということです。

 

未来の架け橋になる上での関係性の築き方に
具体性が無いように感じています。

ゴールが、ざっくばらんとしてしまっているのではないかな?と。


だから、これは先ほどの問題点にも繋がるのですが、

どう動くべきだと感じるのかも個人差が生じてしまうのでは?というのが私の見解。


今回の隊の目的は今回だけでなく、今後も含めたインドの活動全体としての目的。

ならば、もっと長期的にインド隊のフェーズを組んで動いていけたら、よりインドの未来のために出来ることも増えるのではないかな?
とか思ってみたり、

 

あるいは、
今回交流したインド人学生の多くは、将来技術者になりたいという人が多かったのですが、

じゃあともに仕事をできる仲間になるために
日本人側がどのような価値を提供できるのか?、
自分達にマンパワー以外で何をできるのか?をわかっていない学生が多いなと感じました。


現地での企画で、一緒に大きな布に夢を書くというものがあったけれど、日本人の書いたものを見るとSmileとかhappyとかたしかに理想の未来の形ではあるけれど「お互いの思いを語り合う」には少し遠いのかな?と感じてしまう機会もあって、

 

だから事前準備として、
まず自分自身について知ることだったり、
それを知った上で伝えられる英語力をもつ、
というのが架け橋になるには、より大切なのかな?と感じてみたりしていました。

 

***

そんなこんなで、
今回の活動は、私史上今まででいちばん
考えさせられるものだったな、と感じています。

 

私にとってインドでのボランティアは
純粋な国際協力というよりは国際協力に関心をもってもらうきっかけであり、モヤモヤして帰ってもらいたいものなので、
そういう意味ではスーパーモヤモヤ出来る活動だったかな?と思います。

 

私自身、ラストなのに全然スッキリできずに帰ってきました!

 

あとは、カレーのみならずいろんなインド料理が食べられたし(特に今年はおいしかった!!)、
チャイもいっぱい飲めたし、寝台列車ものれたし、交流もできたし、今年も楽しい活動でした。

 

やっぱり、インドが好きです。大好きです。

 

でもそんなインドに行けるのは、安全にインド隊を終えて帰ってこれるのは当たり前じゃないので、支えてくれたみんなに感謝しなきゃなぁ、と、
4年生になって今まで以上に身に染みて感じてます。

 

そんな、2週間。


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そんなもん

たまらなく、

いとおしいものが多すぎる。

 

 

例えば昨日。

 

朝から大好きな友人と

ピクニックするための

ランチのパンやスープを買うために

お店をめぐって、

 

なんか、

ふつうにお店にはいるより

買っちゃって、

 

ちょっとリッチな

クロワッサンを買っちゃったりして、

 

なのに公園は閉園日で、

 

結局高校生のときから

お気に入りでたまにいく屋上庭園で

のんびりする昼下がり。

 

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通りすがりの小鳥に

パンくずをあげて癒されて、

 

関西にすむ共通の友人に

急遽電話をして30分以上話し込んで、

それで体を冷やしちゃったり。

 


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午後のインターンでは

なんか上手くいかなくて、

隣の彼女にとても劣等感をもって、

 

自分の存在をとても泣きたくなった。

 

そんなときに

バイト先の人からお誘いのLINEがとどいて、

会いたいと友人にいってもらえて、

 

一緒に飲んで、

 
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それだけで生きてる意味、

っていうか

それこそ、が生きてる意味で。

 

そのあと私が飲んでるという

ツイートを見た大好きな先輩が

「会いたい気分だから」

と来てくれて、

 

そのまんまその人のシェアハウスに泊まって

そこでまた好きな人たちと

少しだけどお話しできて。

 

可愛いチョコレートまでくれた。


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そして今日。

 

尊敬できる人たちと働いて、

 

昨日上手くいかなかった分なのかな、

ひょんなことが上手くいって誉められて、

 

そのあと

好きな人たちとふらりと飲んで、

 

安くてガチャガチャした

味気のないチェーンじゃなくて

安くても素敵なお店で嬉しい気持ちになって、

 

インターン先の社員に

はじめて自分の想いや夢の片鱗を語った。

 

彼らもそれぞれの思いをもってて、

 

今まで感じていた心の距離が

すこーしだけ近くなったり、

あん肝の食べ方をご教授いただいたりした。

 

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帰り道に一日を噛み締めながら

好きな音楽を聴く時間が、

 

泣きたくなるくらい幸せ。

 

別に特別なことがあったかと言えば、

したことはない日常。

私には大した日常。

 

毎日なんてそんなもんで、

 

だからほんとにいとおしい。

 

本当に楽しいし、

そりゃあもちろん

大変だったり泣いちゃうことも、

病んじゃうことも当たり前にあるけど、

だから幸せを感じられるし、

 

特別なことはない特別な日々を

生きてる私はとても特別で、

 

恵まれてるとかじゃなくて、

結局全ては繋がりから生まれるから、

ありがとうしかないし、

 

や、ありがとう。ほんとに。

 

私たちの毎日なんて、そんなもん。

そんなもんだから、

ムカつくくらい素晴らしい。