山羊に憧れたヒツジ

なんかもっと、日常を楽しんだらいいじゃん。

mame hico

カフェマメヒコ、

知っている人は多いと思います。

 

ずっと行ってみたくて、

とうとう足を運んでみました。

 

酸味がなくて飲みやすい、

深煎れの珈琲と、

酸味をやわらかな生クリームが包み込む、

瀬戸田檸檬ケーキ。

 

暖かい光が照らし出す、店内と、

そこに流れる音楽。


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とても、素敵なお店でした。

 

こういう時、ほんとうに幸せで、

「このままでいいなあ」

「こうやってずっと生きていきたいなあ」

って思う

 

けれど、

 

それはきっと、

今の私が、学生という

人生の夏休みと言われているような身分で、

年齢的には自分に責任は出てきたと言えど、

まだ親の脛をかじり、

親や学生という立場に守られていて、

 

心に余裕を持つことが

 

容易いからなのだ

 

とも、思う。

 

穏やかな海にいるだけじゃなくて、

どんな荒波に揉まれても、

心の余裕と、

 

小さな幸せを持ち続けていきたい。

 

そういう大人になりたい。

 

大好きだった人たちが、

大人になって、社会人になって、

「あの時は若かったから」

「今は無理だなあ」

「しょうがないよ」

そんなつまらない言葉で、

完結させて、

 

あの時の彼らに溢れんばかりに 

つまってたキラキラが、

 

小さな瓶に押し込まれて、

心の奥底で少しずつ埃をかぶっていく。

 

それはとても、

とても悲しいことだし、

今、まだ私は社会の厳しさも

なんにも知らないから

綺麗事並べられるのかもしれないけど、

 

綺麗事を現実にすれば、

それは綺麗事なんかじゃない、し、

 

そんなに追い込まれなくても、

自分を追い込まなくても、

案外生きていける。

人生は、なるようになるし、

前向きな気持ちで進んでれば、

いつかは良い方向に転ぶ、

かもしれないし、

 

ころばなくても、

勝手に良い方向にとらえちゃえばいいじゃん。

 

辛いことだって

そりゃあ、いっぱいあるけれど、

 

とりあえず今は、

珈琲の香りに癒されときましょう。

 

幸せだなあ。

ぽっかり

ぽっかり、夜空に穴が空いた。

そこから神様が、覗いてるのかもしれない。

 

そんな穴を、私達は「綺麗だ」と謳う。

 

少し前、少し前に、

急に友達が亡くなりました

急性なんとか、

病名は忘れてしまったけれど

夜寝て、そのまま起きなかったそうです。

 

その友達のお母さんが

Twitterの存在に気づいて

亡くなったことの報告と今までの感謝を

私たちに伝えてくれました。

私はそのツイートに気づかなかったのですが

別の友達が私が気づいていないことを察して

わざわざ教えてくれました。

 

気づかなかったら、

ずっと知らないで過ごしていたら

ほんとうに悲しくて寂しいことだったので

知れて、よかった、ありがとう、

そう思いながらも、

ずっと実感がなくて、

ただ漠然と

「もう会えないんだ」

って思いました。

 

今まで私は

周りで人が死んだことはあまりなくて

小さい頃に

ひいおじいちゃんが亡くなった時は

92歳だし、認知症だったし、

そこまでたくさんお話したり

したわけではなかったので

なんとなく受け止めていました。

 

ひいおじいちゃんが亡くなっちゃったことより

おばあちゃんがずっとずっと泣きながら

必死にやらなければいけない

いろんなことをこなしていたことの方が

鮮明に覚えています。

いつだってニコニコして

マシンガントークを繰り広げているおばあちゃんの、

初めて見た涙で、

(ああ、自分の親がなくなるって

とてつもなく辛いことなんだろうなあ)

と小さい私は思っていました。

 

そして、それ以降で

はじめて、

身近な人が亡くなりました。

 

彼と私はライブ仲間で、

でも説明しづらいよくわかんない関係で、

仲いいのかってきかれたら

首を傾げるけれど、

おそらく仲は良くて、

彼はだる絡みがしつこくて

いかついタトゥー入れてるくせに

へたれみたいな性格でなのに打たれ強くて

少しめんどくさい性格だったので

私は彼のことを邪険に扱ったり、

雑に扱ってたり、

でもそんな私を受け止めてくれたし、

たまにTwitterをブロックしたり、

でも2人でライブも行ったり、

わがままにも付き合ってくれて、

同じライブにいるのに合わないようにしたり、

仲直りしてライブいったり、

好きなものを共感したり、

なんだかんだ私は彼のことを尊敬してたし

仲間として好きだった。

 

彼は私にフェスに連れ出してくれて、

フェスの楽しさを、

もっと言えばライブで暴れる楽しさを

教えてくれたし

音楽ってほんとに最高で、

そんな音楽やそれを愛してる仲間に出会えて

ほんとうに生きてるって素晴らしいって

そう思わせてくれるきっかけを

つくってくれたのも彼で

かれがいなかったら

今の私はいなかった。

 

大げさじゃなくて、

ほんとにそう思う。

 

そんな人に、もう二度と会えない。

 

雑に扱ってたけど、

意外と好きだったよって、

そんな気持ちを伝えることをもできない。

 

亡くなるって、

いなくなっちゃうって、

そういうことなんだなって。

 

じわじわと実感が迫ってきて、

 

心にぽっかり、

 

ぽっかり穴が空いた。

 

もしもう1度会えたら、

次は優しくしてあげよう

 

なんて、

 

そんなことは思わないし、

そんなの私と彼のこの曖昧な関係には

そぐわないなあって思う。

 

けれどやっぱり、

もう1度会いたいって思ってしまうし

 

次にライブに行ったら、

彼の霊も遊びに来てて、

「ありがとう」が、

「大好きだよ」が伝わるといいな、とか

そんなバカげたことを考えている

今日このごろです。

 

ぽっかり。

 

ぽっかり。

blue bottle coffee

昨日、冷蔵庫の中に

ブルーボトルコーヒーの袋を見つけました。

 

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(あっ、飲んでみたかったやつ…)

 

中身は、珈琲豆。

 

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(…ん?)

 

我が家に、

コーヒーミルなんてものはありません。

珈琲豆を挽くなんて文化、ありません。

 

ということで、

さっそくコーヒーミルを

お母さんがAmazonで頼んでくれて

 

今朝、届きました。

 

カリタの電動コーヒーミル。

 

初めて珈琲豆を挽いて、

コーヒーを飲む。

 

そして、

飲んでみたかったブルーボトルコーヒー

 

 

私の中で、

美味しいものは一番美味しく食べる。

というモットーがあります。

(実行できない時もありますが)

 

ということで、

コーヒーに合うお菓子を作ろう!

 

ってコーヒー1杯飲むためだけに

わざわざスコーン焼いちゃいました。

 

紅茶とホワイトチョコのスコーン。

 

コーヒーも豆を挽いて、

丁寧にドリップ。

 

少し酸味があるけれど、

飲みやすくて美味しいコーヒーでした。

 


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美味しいコーヒーと、

 

美味しいスコーン。

 

 

最高ですね。

ひと手間で、幸せなひとときが、

もっと幸せなひとときになる。

 

今日は朝から雨で気分が上がらなかったけど、

小さな幸せで今日1日頑張ろうって思える。

 

 

今日もわたしははっぴーです。

 

 

本の街

昨日は神保町来たついでに、

ずっと行ってみたかったカフェに行こう。

 

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と思ったら、休業日。

日曜休業のカフェって多いんですね。

 

そのままフラフラと


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別のカフェ行こうかなと思ったけど

高くてやめて、

 

フラフラと


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オシャレな、昔ながらな感じのお店が、

たくさんたくさんありました。


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あと、本屋さんがハンパなく多い。

本屋さんの街なんですかね。

 

神保町のサイトを見たら、

世界一の本の街、神田神保町って書いてありました。古書店が少なくとも176店あるみたいですね。驚き。

 

 

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明治っぽい感じの建物。があったり。

 
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この季節は桜が綺麗ですね。

 


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あるいてたら皇居(?)までつきました。

桜と門が、とてもよく合います。

 

そのまま竹橋から帰りました。

 

 夜は、久々にお弁当もつくりました。

今日のランチです。これから食べます。


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ちなみにこの神保町は古本の街として広く知られているそうですが、特に古書店が集中しているのが、靖国通りやすずらん通り。街に漂う古本の独特な香りから、環境省の「かおり風景100選」に選ばれたことからも、その品揃えの豊富さがわかろうというものです。新刊を扱う大きな書店も何軒か存在します。また、神保町には学生街としての顔も。神保町から御茶ノ水駅にかけての一帯は明治大学日本大学などいくつも大学があることから、「日本のカルチェ・ラタン(パリ市内の学生街地区)」と呼ばれています。

この街の古書店で独特なのが、それぞれの店が専門分野を持っていること。街をめぐれば文学や哲学、社会科学、演劇、スポーツなど、ほとんどすべてのジャンルの本に出会えます。2007年に、靖国通り沿いに「本と街の案内所」ができて、本探しが楽になりました。でも、もともと、お客さまが本を探しに来られてお目当てのものがないときは、ほかの店を紹介するのが当たり前。よほど忙しくない限り、どこの店もそうしていて、競合ではなく、共存しているのだそうです。

素敵ですね。

 

では。

warm blue day

おととい、4/2は

国連が定めた世界自閉症啓発デーです。

 
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世界では、この日に街を

青くライトアップするイベント行われているそう…

 

青は、心を落ち着かせたり、

希望の色なのだそうです!

 

最近では東京でも、

この日に街中を青く染める事で

自閉症をもっといろんな人に知ってもらおう

というイベントが開かれています。

 

その、ボランティアスタッフとして

イベントに参加してきました! 


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青いボランティアスタッフや参加者が

渋谷に集い始め、

 

ハチ公も青いTシャツを着て、

 

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街のあちこちに青いものが!


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青いロボットにみんなでペイントしたり

 

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青いゴシックロリータさんたちも。


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真面目な感じではない、

こういう楽しいイベントを通して、

多様性を受け入れられる社会になるように

呼びかけをしていくっておもしろいですよね。

 

素敵ですよね。

 

私も、青い集団で更新してる時に、

興味持った高校生くらい女の子たちに

「チラシもらっていいですか?」

って言われました。

 

青い奇妙な集団が行進してたら

そりゃあ、「なにやってるんだろう?」

って興味持ちますよね。

 

この日は至るところで、

景品も貰えるようなイベントもしていました。

フェイスペイントなどもできたり、

なんと夜には


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東京タワーも青く点灯!

 

点灯式には東京都知事もいらっしゃいました。

(都民なのに初めて都知事見ました笑。)

 

そんなかんじで、啓発するだけじゃなくて

私自身いろんな方に出会えて

とても価値のあるイベントでした。

 

こういう、バカげてそうな、

面白い、でも意味のあるものに

たくさん参加していきたいし、

たくさんつくっていきたいなあ。

 

それでは!

Feed the birds

タイトルは、

日本では「2ペンスを鳩に」という邦題になっている歌の名前です。

 

中学生のときに合唱コンクールで歌った曲で

その名の通り

「どうか2ペンスを鳩のために使って

パンくずを買いませんか?」という歌詞。

 

今私の周りにいる多くの人は

2ペンスすら鳩にくれてやらないらしい。

寂しいな。

 

さて、物乞いに出会う度にいつも、

私はどうするべきなのかなって悩みます。

.

最近では、手頃なサイズのお菓子を

「物乞いが来たらあげる用」として

バッグにしのばせておいたりしてます。

(半分位は結局自分で食べる)

.

.

2度ほど、お金をあげたこともありますが、

その2回とも、周りにいた人に批判されました。

.

周りの人に意見を求めると、

たいていの人は「あげない方がいいよ」と言います。

.

与えるだけでは本人のためにならないだとか、

あげる人がいるから物乞いするんだとか、

物乞いの子供の後ろには大人がいて、

その子にあげても搾取されるだけだとか、

お金をあげたらどうせクスリを買うんだとか。

.

.

日本人(って括るのはよくないんだけど)って、

豊か故に冷酷だなあって思いました。

.

私は性善説を信じてるから

そんな、はなから悪い想像をして

突き放すことはしたくないし、

クスリとかそういう

良くないことに使うとは思いたくなかった。

.

でも、クスリを実際に買う子がいたとしたら

その子にとって「悪いこと」ではないんだ、

というのは最近気付かされたことです。

「悪いことだと思ってないから、する。」

それを悪いことだと教えてくれる人なんていないから。

.

あるいは、悪いこととわかってても、

空腹を紛らわしたくてクスリに手を出しちゃう子や、

みんなやってるからお前もやれよってので

手を出させられちゃう子もいるっては

本で知りました。

.

てか日本だって、お金無いのに

僅かなお金をタバコやお酒にあてちゃったり、

なんてよくあることで、

なんも変わらないじゃんっていう。

クスリも種類によっては

タバコやお酒より何倍も害は少ないそうだし。

.

.

また、日本人は

ただ与えるのは良くないっていうけれど

イスラム教では「喜捨」は良いこととされていて

そうやってお金ある人が

お金のない人を支えるというのが

教えの中にあって。

.

そうやって支えあって生きてくのが、

生きていけるのが人間なんじゃないかなあ

とかチラっとおもってみたり。

.

野生動物みたいに、

力がないやつは死んでもしょうがない、

なんて切ない。

(動物の中にも支えあっていくのもいますしね)

.

.

そして最近は、

物乞いをしてる女の子と

おしゃべりする機会があったり、

物乞いをしてる人と

仲良くなった人の話を聞いたり、

.

.

物乞い、という存在がより身近になりました。

.

その人たちは、仕事もなくて、

時には家すらなくて、

普段食べるので精一杯で、

それどころか食べるものを買えないことも

あるくらい、お金に困っていました。

.

.

だから、街に出て物乞いをするそうです。

.

彼らにとっては、それが貴重な収入源。

.

そんな彼らを目の当たりにしたら、

「今はとりあえずお菓子をあげることで

何も出来ないモヤモヤを誤魔化してる」けど

それでいいのかな?って思えました。

.

やらない善よりは、やる偽善の方が

だいぶマシだとは思うけれど。

.

それに、確かに、

クスリを買うよりはお菓子の方がいい。

けど、そうやってほんとに

生きていくためのお金が必要な人たちに

一口サイズのお菓子をあげたところで

「一時的に美味しい」だけ。

.

お金をあげるのは、

何に使われるかわからないという

リスクがあるから?

物乞う事に依存させてしまう可能性があるから?

.

そんな勝手な思い込みで、リスクヘッジで、

彼らがごはんを食べられないのも違う気がするし、

.

お金をあげるのも、意外と大事なのかなあって。

.

でも、継続的にお金をあげれるわけじゃないし

私だって所詮貧乏学生で

お金に関しては自分のことで手一杯だし。

これが俗にいう、

「ボランティアの限界」だと思う。

.

.

そう考えると、

まず彼らに、彼らがキャピタルゲイン

得ることのできるようなビジネスを

考えるのが、いちばんかなあともおもったり。

そこから、インカムゲインが得れるような

ハコ作りをしてくのが理想。

.

でも、ボランティアに限界があるように、

ビジネスにも限界があって、

こういう極貧のターゲットには

やはりボランティアから入って、

支援の過程で少しずつ、

ビジネスを導入していくのがいいと思うし。

.

.

まあそれにしたって、

今の私が個人的にできることではなくて、

友達くらいは巻き込めるけど、

もっと沢山巻き込んでいくほどのノウハウはないし、

私の将来的にターゲットとしてる難民とは

違うから、二兎追うものは一頭も得ず

になるのも笑えないし、

.

今の段階では理想は理想でしかないから

今の身の丈にあった、私のできることや 

するべきだなって思うことを

具体的に見つけていかなきゃなあって。

.

.

結局、お金やお菓子を

あげるべきなのかどうかも

その物乞いのバックグラウンドを聞いたり

家に連れてってもらったりして、

「物乞い」で括らないで

その人個人として、あげても

大丈夫なのか、あげるべきなのか を

見定めてった方が良いんだろうな。

.

.

あとは、同じお菓子でも、

より栄養価の高いものがいいなあと思うので

何かおすすめがあったら教えてください笑

.

.

なんかごちゃごちゃ書いて、

全然しまりもよくないけど、このへんで。

eating is killing

動物を、自分の手で殺して

捌いて食べてみたい。

 

私は常々、そう思っています。

 

こんなことを言うと日本では

「もしてかして犯罪者予備軍?」

なんて思われてしまうかも知れません。

 

私がそれをしてみたいのは

快楽のためでは、もちろんありません。

 

「生きものをいただいている」

 

「生き物の命を頂いて、生きている」

 

ということをきちんと、

身をもって感じたいからです。

 

「殺す」

という会ったことも無い誰かに押し付けている、

「汚い」「残酷」と言われるようなことを自分の手で行い、それがどれだけ怖いことか、労力のいることかを知り、「生きる」「命を奪って生きる」ということに向かい合いたい。

 

今の自分が、これらのことに対して発言をしたところで、手を汚したことのない人の言綺麗事でしかありません。

(もっとも、生きるために殺す行為は「手を汚す」ような汚い行為ではないと思いますが。)

 

生き物を殺すことの「抵抗感」や「罪悪感」。

それは、慣れてしまうべきものではないと思う。

けれど同時に、避けるべきものではないと思っています。

 

野菜だってお肉だって、世の中のほぼ全ての食べ物は「命」をいただいてる。

それにもかかわらず、命ということから目を背けている人が多すぎると思う。特に、日本は。

 

「命をいただいている」という実感が生まれれば、それこそ、食料廃棄の問題も少しは改善されるのではないかな、と思います。

 

今、世界では、今の世界の人口が2倍になっても大丈夫なだけの穀物が生産されていると聞いたことがあります。

が、現状はどうでしょう?

 

飢餓や栄養失調で亡くなる子供が沢山います。

明日食べるものがなくて、困っている人たちがいます。

 

何故?

 

食べ物は十分にあるのに?

 

それは私たちが不必要に買い込み、家畜の餌になったり、過剰な食品が店頭に並べられ捨てられていくからです。

 

私は今、居酒屋でバイトしています。

お客さんたちは、平気でご飯を残していきます。そして、罪悪感さえもたず、笑って帰っていきます。

 

その瞬間、食べることが出来ずに死んでいく人がいるのに?

 

働いていて、どんなに混んでいても忙しくても、仕事で辛いと思ったことはないけれど、残されたごはんを捨てる瞬間はいつもとてつもなく辛いです。

 

だから、もっときちんと

「命を頂いている実感」をまずは自分があらためて知り、持ちたい。そして、広めていきたい。

 

食料廃棄を、なくしたい。

 

と、心から思います。

 

命の重みは、人も動物も同じなのだから。

 


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